死刑執行が早かったり遅かったりする理由は?
日本における死刑執行タイミングの決定要因に関する分析報告
序論
日本の死刑制度は、一つの根本的なパラドックスを内包している。それは、法律上は死刑執行の命令期限が定められているにもかかわらず、その規定が遵守されることは稀であり、結果として判決確定から執行までの期間が1年強から20年近くにまで及ぶという、著しいばらつきと予測不可能性を生み出している点である 1。この現象は、単なる制度上の欠陥や運用上の気まぐれではなく、日本の死刑執行をめぐる法的、手続き的、政治的、そして社会的要因が複雑に絡み合った結果として生じる、制度固有の特質である。
本記事ではこの執行タイミングの不確実性を生み出す不透明なシステムを多角的に解明することを目的とする。単に要因を列挙するのではなく、法的解釈の柔軟性、手続き上の慣行、法務大臣という一個人の裁量、そしてそれらを取り巻く社会政治的文脈を深く掘り下げ、なぜ死刑執行のタイムラインが標準化されず、これら諸要因の動的かつ予測不能な相互作用の産物となっているのかを分析する。
本記事の構成は以下の通りである。まず、執行タイミングに影響を与える要因を概観するための枠組みを提示する。次に、第一部では、制度的な遅延の根底にある法的・手続き的構造を分析する。第二部では、執行の最終決定権者である法務大臣の裁量に焦点を当て、その判断に影響を与える個人的信条、政治的計算、官僚的プロセスを検証する。第三部では、例外的に執行を早める可能性のある触媒的要因を考察する。最後に第四部では、世論や国際的動向といった外部からの影響を評価し、結論として、日本の死刑執行タイミングのばらつきが、制度に内在する裁量権と密行主義によっていかにして生み出されているかを総合的に論じる。
表1:日本の死刑執行タイムラインに影響を与える要因
第一部:遅延の法的・手続き的構造
日本の死刑執行における長期化は、偶発的なものではなく、制度に組み込まれた構造的な特徴である。その根幹には、法律の解釈上の柔軟性と、誤判を恐れるあまり定着した手続き上の慣行が存在する。本章では、これらの要因がどのようにして体系的な遅延を生み出しているのかを解明する。
第1節 柔軟性の基盤:刑事訴訟法第475条の解釈
すべての死刑執行の遅延を可能にする法的根拠は、刑事訴訟法(以下、刑訴法)第475条第2項の解釈にある。
この条文は、「前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない」と規定している 2。文言上は「しなければならない」という強い義務を示唆しているが、政府および裁判所の解釈・運用において、この規定は法的拘束力のない「訓示規定」あるいは努力目標とみなされているのが実情である 3。
政府は公式見解として、6ヶ月の期間を超過しても、それは「人の生命を絶つ極めて重大な刑罰の執行に関することであるため、その執行に慎重を期していることによるもの」であり、違法ではないと説明している 6。実際に、死刑確定者が法務大臣の執行命令不作為を違法として国家賠償を求めた訴訟において、東京地方裁判所は「本条2項は法的拘束力のない訓示規定であり、法務大臣が6ヶ月以内に死刑執行の命令をしなかったとしても違法の問題は生じない」と判示している 3。
この規定が設けられた歴史的背景には、死刑確定者を長期間の不確定な状態に置くことの精神的苦痛を避けるという迅速性の要請と、性急な執行によって再審や恩赦による救済の機会を奪うことを防ぐという慎重性の要請という、二つの相矛盾する目的があった 8。しかし、実際の運用では、慎重性の側面が圧倒的に優位に立ち、迅速性の要請は形骸化している。
この「6ヶ月ルール」が法的なフィクションとして機能している点は、極めて重要である。法律上唯一の期限規定を事実上無効化することで、執行タイミングの決定は法規範の領域から、法務大臣の裁量や後述する手続き的現実といった、法以外の要素が支配する広大な空間へと移行する。この解釈は、準自動的な行政手続きであるべき死刑執行を、完全に時の政権の行政トップの判断に委ねることを可能にする。この法的構造こそが、その後のあらゆるタイミングのばらつきを生み出す必要不可欠な前提条件となっているのである。
第2節 事実上のモラトリアム:執行プロセスにおける体系的停止
刑訴法第475条の解釈が遅延の「可能性」を担保するものであるとすれば、次に述べる二つの手続き的慣行は、遅延を「常態化」させるメカニズムとして機能している。
2.1 再審請求という手段:誤判への恐怖に根差した不文律
法務省内には、死刑確定者が再審請求を行っている間は、原則として死刑を執行しないという強力な「暗黙のルール」が存在する 9。これは法的な義務ではない。刑訴法第475条第2項但書は、再審請求手続きに要した期間は6ヶ月の期間に算入しないと定めているだけで、執行そのものを禁じているわけではない 2。むしろ、刑訴法は再審請求に刑の執行を停止する効力はないと明記している 10。
この不文律の根底にあるのは、取り返しのつかない誤判(冤罪)への強い恐怖である。戦後、死刑判決を受けながらも再審で無罪となった免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件の4大死刑冤罪事件は、司法システムがいかに致命的な過ちを犯しうるかを示す強烈な教訓となっている 11。これらの死刑囚は、再審請求中に執行されなかったからこそ、生きて無罪を勝ち取ることができた。近年では、半世紀近く死刑の恐怖に晒された末に釈放された袴田事件が、この恐怖をさらに現実的なものとして社会に突きつけている 1。無実の人間を国家が処刑することは、司法制度の絶対的な破綻を意味する。
一方で、この慣行は「執行引き延ばしのための請求」を助長しているとの批判も存在する。棄却されても繰り返し再審請求を行うことで、死刑囚が不当に執行を遅らせているという見方である 9。しかし、弁護士会や死刑廃止論者は誤判を是正する可能性を確保するためには、たとえ濫用のリスクがあったとしても、この慎重な運用は維持されるべきだと反論する 10。
この「暗黙のルール」が絶対的なものではないことを示したのが、2018年のオウム真理教関係者の一斉執行である。執行された13人のうち6人は再審請求中であり、この異例の措置は日本弁護士連合会(日弁連)や国際社会から強い非難を浴びた 11。この事例は、最終的には法務大臣の判断一つで、長年の慣行が覆されうることを示している。
2.2 共犯者の存在という複雑性:手続き上の必然
複数の実行犯による事件の場合、共犯者全員の裁判が終結するまで、特定の死刑囚の刑を執行しないという実務が定着している 4。これは刑訴法第475条第2項但書で明確に認められており、「共同被告人であった者に対する判決が確定するまでの期間」は6ヶ月の算定から除外される 2。
その理由は極めて実践的である。確定死刑囚が、まだ裁判の続く共犯者の公判で証人として必要になる可能性があるためだ。事件の全体像や各人の役割分担を解明する上で、その証言は決定的に重要となりうる 9。
このルールの最も著名な例が、オウム真理教事件である。教祖の麻原彰晃(本名:松本智津夫)ら13人の死刑囚の執行は、関連する最後の共犯者の裁判がすべて終了するまで、長年にわたって保留された 9。この事件は、共犯者の存在が、特定のグループ全体の執行を10年以上にわたって遅らせる最大の要因となりうることを明確に示している。
再審請求と共犯者の裁判という二つの手続き的要因は、死刑執行に一種の「待機リスト」を生み出す。このリストにおける順番は、判決確定日や犯罪の凶悪性、あるいは世論の動向ではなく、純粋にこれらの法的手続きが完了するかどうかに依存する。これにより、単独犯で再審請求もしていない近年の事件の死刑囚が、複数の共犯者が関与し、法廷闘争が続く数十年前の事件の死刑囚よりも先に執行されるという、一見不可解な事態が論理的に説明される。この手続き主導のロジックこそが、執行タイミングのばらつきを生む、政治的判断とは別の大きな駆動力なのである。
第二部:人的要因:法務大臣の裁量
制度的な遅延の構造を理解した上で、次に問われるべきは、では誰が、いつ、どのようにして執行の「引き金」を引くのかという点である。その答えは、法務大臣という一個人の裁量に集約される。本章では、法務大臣が持つ絶大な権限と、その判断を形成する個人的信条、政治的力学、そして官僚機構の影響について分析する。
第3節 最終権限の在処
死刑執行における法務大臣の役割の法的根拠は、刑訴法第475条第1項「死刑の執行は、法務大臣の命令による」という簡潔な一文にある 2。この規定の趣旨は、死刑が一度執行されれば回復不可能な重大な刑罰であるため、政府の最高司法行政責任者による最終的かつ慎重な判断を経るべきであるという点にあると解されている 17。法務大臣は、司法判断に対する最後の行政的チェック機能を担い、執行の最終責任を一身に負う存在なのである。
第4節 判断を形成する三つの力:信条、政治、官僚機構
法務大臣の判断は、真空状態で下されるわけではない。その決定は、個人の内面的な信条、外部からの政治的圧力、そして法務省という組織内部の力学という、三つの力が複雑に絡み合う中で形成される。
4.1 個人的信条:道徳的主体としての法務大臣
法務大臣個人の死刑に対する哲学的・宗教的信条は、執行の有無に直接的かつ絶大な影響を及ぼす。死刑制度に反対する大臣が在任した期間は、事実上の執行停止期間(デファクト・モラトリアム)となる傾向が顕著である。
杉浦正健氏の事例: 2005年に就任した杉浦正健法相は、「心の問題。宗教観、哲学の問題」を理由に、在任中は執行命令書に署名しないと明言した。この発言は後に批判を受け撤回されたものの、実際に彼の在任中、一件の死刑も執行されなかった 9。
千葉景子氏の事例: 死刑廃止推進議員連盟に所属する死刑廃止論者として知られていた千葉景子法相は、2010年に2人の死刑執行を命令した。彼女は歴代法相として初めて執行に立ち会い、また東京拘置所の刑場を報道機関に公開した。その意図を「死刑について広く国民的な議論が行われる契機としたい」と述べ、個人的信条と大臣としての職責との間で葛藤しつつ、問題提起を試みた 1。
左藤恵氏の事例: かつて執行命令書への署名を拒否した左藤恵元法相は、その理由を「宗教的な理由からだ。人は誰でも生まれ難き世に生まれてきた。法律といえども簡単にはその命を奪うべきではない」と語っている 19。
これらの事例は、法務大臣というポストが、単なる行政官僚ではなく、一個の道徳的主体としての判断を迫られる場であることを示している。
4.2 政治的計算:政治家としての大臣
法務大臣は内閣の一員であり、選挙で選ばれた政治家でもある。そのため、執行の判断は時に高度に政治的な計算を含むものとなる。
執行への圧力: 大臣は、所属政党や野党から「職務を遂行」し「犯罪に毅然と対応する」姿勢を示すよう圧力を受けることがある 20。葉梨康弘元法相が、自身の役割を「死刑のハンコを押す」地味な役職と揶揄した発言で辞任に追い込まれた事件は、このポストがいかに政治的に敏感であるかを物語っている 5。
象徴的なタイミング: 執行のタイミングが政治的効果を狙って選ばれることもある。オウム真理教関係者の一斉執行は、元号の変わり目を前に「平成の事件は平成のうちに」という、一つの時代を清算する象徴的な意味合いがあったのではないかとの憶測を呼んだ 4。逆に、国政選挙の期間中や、オリンピックのような大規模な国際イベントの開催中は、国内外からの批判を避けるために執行が見送られる傾向がある。
4.3 官僚的プロセス:法務省の「お膳立て」
法務大臣は、自らの意思のみで執行を決定するわけではない。その判断には、法務省刑事局を中心とする官僚機構が深く関与している。
執行に至るプロセス: 手続きは、関係する高等検察庁から法務省へ、死刑執行に関する上申がなされることから始まる。これを受け、法務省の担当部局は、判決や確定記録を精査し、刑の執行停止事由、再審・非常上告の事由、あるいは恩赦を相当とする情状の有無について慎重に検討する 17。
「クリーン」な案件の上申: これらの検討の結果、執行を妨げる事由が一切ないと官僚機構が判断した「クリーン」な案件のみが、最終的な命令を仰ぐために法務大臣に上申される 17。これは、法務大臣が執行判断を下す際、法務官僚による事前のスクリーニングと「お墨付き」が与えられていることを意味する。
表2:2000年以降の主要な法務大臣と死刑執行数
注:執行数は在任中の命令に基づくものであり、複数の大臣が関与した執行も含む場合がある。
第5節 密行主義の帳
死刑執行プロセス全体、特に執行対象者の選定基準は、厚い秘密のベールに包まれている。
「ブラックボックス」としての選定基準: 法務省は執行可能な死刑囚のリストの中から、次に誰を執行するのかという選定基準を一切公表していない 1。記者会見で問われても、「個々の事案につき、関係記録を十分に精査し、刑の執行停止、再審事由の有無等について慎重に検討し、これらの事由等がないと認めた場合に、初めて、死刑執行命令を発することとしています」という定型的な回答に終始し、それ以上の説明がなされることはない 23。
歴史的ルーツ: この「密行主義」は絞首刑という執行方法の「残虐さ」や「むごたらしさ」を公衆の目から隠し、憲法が禁じる「残虐な刑罰」との批判を回避したいという、明治期にまで遡る歴史的動機に根差している 26。
現代における現れ: 今日、この密行主義は、執行に関する情報開示の極端な制限という形で現れている。死刑囚本人に執行が告知されるのは当日の朝であり、家族や弁護人には事後的に知らされるのみである 15。この運用自体が、国連などの国際機関から非人道的であると厳しく批判されている 30。
この透明性の欠如は、法務大臣と法務官僚に、説明責任を問われることのない絶大な権力を集中させる。国民やメディアが「なぜあの死刑囚が今、執行されたのか」という問いに対する公式な答えを得られないため、オウム事件における「平成の清算」のような憶測に頼らざるを得なくなる 4。この密行主義は、制度を外部の批判から守る盾となる一方で、近代民主主義国家に期待される透明性と説明責任の原則を著しく損なっている。そして、法務大臣の個人的信条や政治的計算が、公の検証を受けることなく執行タイミングを左右することを可能にする、中核的なメカニズムなのである。
第三部:執行を促す触媒:タイミングを早める要因
日本の死刑執行システムが、その構造上、遅延を基本状態(デフォルト)としているのに対し、特定の状況下ではその慣性が破られ、執行までの期間が短縮されることがある。本章では、そうした例外的な加速要因について考察する。
第6節 被告人の意思と社会的風潮
6.1 被告人自身による上訴の取り下げ
執行までのタイムラインを短縮する最も直接的な要因は、被告人自身が法的な争訟を放棄する選択をすることである。
座間9人殺害事件の事例: 白石隆浩死刑囚の事件では、弁護人が行った控訴を白石死刑囚自らが取り下げたため、死刑判決が異例の速さで確定した 1。これにより、通常であれば数年を要する高裁、最高裁での審理が省略され、執行までのプロセスが大幅に短縮された。
他の事例: 過去にも、被告人が「子供たちのためにも罪を認めて潔く刑に服したい」として上告を拒んだり 32、自ら控訴を取り下げたりするケースは散見される。これは、被告人自身の贖罪意識や諦観が、法的手続きの長期化を回避する結果につながることを示している。
6.2 社会を震撼させた凶悪犯罪への対応
定量的な証明は困難だが、社会に大きな衝撃を与えた極めて残虐な事件は、手続き的な障壁がクリアされた後、平均よりも早い執行を促す政治的雰囲気を醸成する可能性がある。秋葉原無差別殺傷事件 23 や京都アニメーション放火殺人事件 33 などは、その凶悪性から国民の厳罰感情が極めて高く、司法・行政に対して迅速な対応を求める無言の圧力がかかる典型例である。法務大臣の政治的判断において、こうした世論の動向が考慮されることは十分に考えられる。
6.3 飯塚事件という暗い示唆
飯塚事件における死刑執行は、「判決確定からわずか2年余りという極めて異例の早さ」で行われた 34。この執行は、同事件の有罪認定の根拠となったDNA型鑑定の信頼性が、類似の鑑定手法で冤罪が明らかになった足利事件の影響で、まさに揺らぎ始めていたタイミングであった。この事実は、再審請求によって無罪となる可能性が浮上する前に、執行を急ぐことで、司法の誤りを隠蔽しようとしたのではないかという、極めて深刻な疑念を提起している 30。
これらの加速要因は、例外であるがゆえに、システムの基本原則を浮き彫りにする。被告人が上訴を取り下げることは、手続き的な遅延要因を自ら取り除く行為である。社会的注目度の高い事件で大臣が迅速な執行を決断することは、政治的な逡巡という遅延要因を乗り越える行為である。これらは、システムが本来、静止と遅延の状態にあり、それを動かすためには、被告人自身や政治的意思決定者による積極的な介入が必要であることを示している。そして飯塚事件は、その介入が、法的手続きそのものを永久に停止させるための最終手段、すなわち死刑執行として行われうるという、暗い可能性を示唆しているのである。
表3:主要な死刑事件におけるタイムライン比較分析
第四部:文脈分析と結論
これまで見てきた法的、手続き的、そして人的要因に加え、死刑執行のタイミングは、より広範な社会的・国際的文脈の中に位置づけられている。本章では、世論と国際社会からの圧力が、この閉鎖的なシステムにどの程度の影響を及ぼしているのかを分析し、本報告書の結論を導き出す。
第7節 外部からの限定的な影響
7.1 世論:剣ではなく盾としての役割
日本政府は、死刑制度を存置する最大の理由として、内閣府の世論調査で8割以上が死刑を「やむを得ない」と回答しているという高い支持率を一貫して挙げている 27。
しかし、この調査結果を詳細に分析すると、その内実には大きな揺らぎが見られる。「やむを得ない」という表現は、積極的な支持というよりは、消極的な容認を示すものである。さらに、仮釈放のない終身刑を導入してもなお死刑廃止に反対するような「強固な存置派」の割合は、全体の34%から40%程度に留まるという分析もある 38。
このことから、政府にとって世論は、個別の執行タイミングを決定する「剣」としてではなく、死刑制度の存在自体を国際的な批判から守るための「盾」として機能していることがわかる。高い支持率は、執行を可能にする全体的な政治的環境を醸成するが、特定の死刑囚をいつ執行するかという具体的なスケジュールを左右する直接的な駆動力とはなっていない。
7.2 国際的圧力:絶え間ない非難と限定的な効果
日本は、国連人権理事会や自由権規約委員会、アムネスティ・インターナショナルといった国際機関や人権団体から、死刑制度の存置、執行の密行性、義務的上訴制度の欠如といった点について、絶えず厳しい批判に晒されている 11。
これに対し、日本政府は、これらの勧告を「留意する」あるいは「受け入れない」とし、死刑制度は各国の犯罪情勢や国民感情などを踏まえて独自に決定すべき国内問題であるという立場を堅持している 23。
国際社会からの圧力(外圧)は、死刑をめぐる言説において常に存在する要素ではあるが、それが個々の執行タイミングに具体的な影響を与えたという明確な証拠は乏しい。特定の時期に執行をためらわせる一因となる可能性は否定できないが、執行を決意した法務大臣を押しとどめるほどの決定力は持っていないのが現状である。
政府が一貫して用いる「主権の盾」の論理、すなわち死刑制度は国民世論に支持された国内問題であるという主張は、外部からの影響を遮断する強力なレトリックとして機能している。この論理によって、国内の政治的議論において国際的な人権基準は二次的なものとされ、その結果、手続き上の遅延、大臣の裁量、官僚の密行主義といった、日本独自の内部論理が、グローバルな規範から隔絶されたまま温存される。この「断熱材」ともいえる構造こそが、執行タイミングが国際基準から乖離し、特異な様相を呈し続ける根源的な理由である。
第8節 総合的結論:予測不可能性によって定義されるシステム
本報告書の分析を通じて明らかになったのは、日本の死刑執行タイミングに見られる著しいばらつきが、単なる運用上の偶然ではなく、意図的に柔軟性と裁量の余地を残すように設計されたシステムから必然的に生じる結果であるということだ。
結論として、日本における死刑執行のタイミングは、法規範そのものによって決まるのではなく、以下の三つの予測不可能な力の合流点によって決定される。
手続き上の偶発性: 誤判是正の可能性を追求する再審請求や、複雑な事件における共犯者の裁判といった、予測不能で長期化しがちな法的手続きの帰趨。
政治的意志: 死刑に対する個人的信条と、その時々の政治的力学の間で揺れ動く、一人の時限的な任命職、すなわち法務大臣の個人的決断。
官僚機構の不透明性: 執行対象者の選定基準が一切公開されず、外部からの検証を許さない、法務省内部の密行的な意思決定プロセス。
この裁量権と制度的密行主義という根本的な構造が改革されない限り、誰が、いつ、なぜ処刑されるのかという問いに対する答えは、依然として明確な基準に基づかないままであり続け、日本の死刑執行のタイミングは、恣意的かつ予測不可能なものとして存続するであろう。
引用文献
2年11カ月ぶり死刑執行―座間アパート9人殺害事件 : 石破政権では初 | nippon.com, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.nippon.com/ja/japan-data/h02460/
刑事訴訟法第475条 - Wikibooks, 6月 27, 2025にアクセス、 https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%88%91%E4%BA%8B%E8%A8%B4%E8%A8%9F%E6%B3%95%E7%AC%AC475%E6%9D%A1
死刑制度 – 寝屋川殺害事件死刑判決で話題となった制度を弁護士が解説, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.t-nakamura-law.com/column/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%88%B6%E5%BA%A6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%EF%BD%9C%E5%AF%9D%E5%B1%8B%E5%B7%9D%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%88%A4%E6%B1%BA%E3%81%A7%E8%A9%B1
死刑執行まで時間がかかるのはなぜ - 埼玉の弁護士による刑事事件無料相談, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.g-keijibengo.jp/info/sikei/
法律コラム/法務大臣の死刑執行命令について, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.takagi-law.or.jp/law-column/2103
死刑の執行に関する質問に対する答弁書 - 参議院, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/189/touh/t189212.htm
法務大臣の職責, 6月 27, 2025にアクセス、 https://opac.ryukoku.ac.jp/iwjs0005opc/bdyview.do?bodyid=BD00003682&elmid=Body&fname=r-ho_045_02_002.pdf
三 死刑確定者の処遇 - 犯罪白書, 6月 27, 2025にアクセス、 https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/5/nfm/n_5_2_3_1_3_0.html
死刑判決受けたのに、執行されない死刑囚が128人もいる理由, 6月 27, 2025にアクセス、 https://withnews.jp/article/f0150313005qq000000000000000G0010401qq000011535A
再審請求中の死刑執行をめぐる法的問題 - 機関リポジトリ HERMES-IR, 6月 27, 2025にアクセス、 https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/73469/hogaku0210100010.pdf
死刑制度における手続き的問題に関する質問主意書:質問本文 ..., 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/196/syuh/s196205.htm
死刑執行に強く抗議し、直ちに死刑執行を停止し、2020年までに死刑制度の廃止を目指すことを求める会長声明 - 日本弁護士連合会, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2018/180706.html
死刑執行に関する会長声明 - 山形県弁護士会, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.yamaben.or.jp/html/semei_ketsugi/s001.html
死刑廃止を考えるQ&A - 日本弁護士連合会, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/deathpenalty/q12.html
世界で最も長く拘置された死刑囚、袴田さんに無罪判決 - CNN.co.jp, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.cnn.co.jp/world/35224316.html
再審請求の進め方とは?流れや過去の事例などを詳しく解説, 6月 27, 2025にアクセス、 https://keijibengo-line.com/post-10532/
死刑制度に関する資料 - 衆議院, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/html/rchome/shiryo/houmu_200806_shikeiseido.pdf/$File/houmu_200806_shikeiseido.pdf
死刑の執行件数の推移 - nippon.com, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.nippon.com/ja/features/h00239/
死刑制度問題ニュース - 日本弁護士連合会, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/committee/list/shikeimondai/data/no09.pdf
日本:法務大臣は死刑執行の圧力に屈してはならない - アムネスティ・インターナショナル, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.amnesty.or.jp/news/2011/1031_1375.html
菅直人内閣における死刑執行に関する質問主意書 - 参議院, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/175/syuh/s175019.htm
葉梨氏 発言「法相として不適格」 2022.11.10 - YouTube, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.youtube.com/watch?v=yf9a1iFP2bI
法務大臣臨時記者会見の概要 - 法務省, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00322.html
上川法務大臣による大量死刑執行に強く抗議する - NPO法人 監獄人権センター, 6月 27, 2025にアクセス、 https://prisonersrights.org/article/article-348/
死刑執行に関する会長声明 - 東京弁護士会, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.toben.or.jp/message/seimei/post-142.html
3. 日本の死刑執行を巡る密行性 - 龍谷大学, 6月 27, 2025にアクセス、 https://opac.ryukoku.ac.jp/iwjs0005opc/bdyview.do?bodyid=BD00004963&elmid=Body&fname=r-ho_047_04_008.pdf
日本の死刑適用における世論の影響について - 明治大学学術成果リポジトリ, 6月 27, 2025にアクセス、 https://meiji.repo.nii.ac.jp/record/11463/files/houkadaigakuinronshu_13_257.pdf
日米の死刑執行を巡る透明性に関する一考察 ―絞首刑の残虐性を中心に―, 6月 27, 2025にアクセス、 https://opac.ryukoku.ac.jp/iwjs0005opc/bdyview.do?bodyid=BD00001211&elmid=Body&fname=dk_179_001.pdf
日本の「死刑」に強まる圧力:世界の潮流に逆行する「秘密主義」 | nippon.com, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01106/
1 菊田幸一氏ヒアリング 辻刑事局総務課長 所定の時刻より若干早いですが,皆さんおそろい - 法務省, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.moj.go.jp/content/000096627.pdf
座間9人殺害事件裁判「何者」 - 集英社新書プラス, 6月 27, 2025にアクセス、 https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/%E9%80%A3%E8%BC%89%EF%BC%9A%E5%BA%A7%E9%96%93%EF%BC%99%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E8%A3%81%E5%88%A4/14749
最高裁判決を経ていない死刑確定者 - CrimeInfo, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.crimeinfo.jp/data/dplist/death_row01/
死刑の世論調査 国民の制度支持は底堅い - JAPAN Forward, 6月 27, 2025にアクセス、 https://japan-forward.com/ja/death-penalty-remains-but-trial-system-must-improve/
飯塚事件 - 日本弁護士連合会, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/deathpenalty/q12/enzaiiizuka.html
死刑執行された冤罪・飯塚事件 - 現代人文社, 6月 27, 2025にアクセス、 http://www.genjin.jp/book/b325496.html
死刑制度に関する政府世論調査の検証 - 日本弁護士連合会, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/deathpenalty/poll.html
死刑制度とは?日本の賛成理由と廃止されない要因と問題点・メリットとデメリット, 6月 27, 2025にアクセス、 https://spaceshipearth.jp/death-penalty-system/
DPP Vox Populi Report_Japanese translation_pp01-44.indd, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.deathpenaltyproject.org/wp-content/uploads/2015/10/Public-Opinion-Myth-Japanese.pdf
死刑執行に関する会長声明 - 法務省, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.moj.go.jp/content/000055365.pdf
死刑制度の廃止を求める決議 - 第二東京弁護士会, 6月 27, 2025にアクセス、 https://niben.jp/news/opinion/2021/202103232894.html
国連人権理事会、第4回UPR審査の勧告に対する日本政府の回答 ..., 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.hurights.or.jp/archives/newsinbrief-ja/section4/2023/07/upr710-1.html
死刑に関する国際連合等の動き 1 いわゆる死刑廃止条約について 1989年,国連総会 - 法務省, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.moj.go.jp/content/000053444.pdf
国際人権から見た日本の死刑制度 - ヒューライツ大阪, 6月 27, 2025にアクセス、 https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/sectiion3/2012/09/post-186.html

コメント