『たくぴとるか』リリース記事
内容紹介
「僕が働かないのは世界にとっていいこと」と豪語する高尚なニート 。しかしソシャゲ運営や攻略ブログ執筆に命を懸ける姿は、もはや社畜より働き者かもしれない 。
あなたが「たくぴとるか」を読むべき5つの理由
現代社会の片隅で、独特な世界を生きる二人、たくぴとるか。彼らの物語は、単なるエンターテインメントに留まらず、私たちの日常や価値観を揺さぶる力を持っています。なぜ、今「たくぴとるか」を読むべきなのか、その魅力を5つのポイントから解き明かします。
1. 唯一無二のキャラクターと奇妙で愛おしい関係性
本作の主人公は、10年以上ひきこもり生活を送る「たくぴ」と、登録者数一億人目前の人気ユーチューバーアイドル「花山るか」です。社会から隔絶されたたくぴと、ネット世界の頂点に立つるか。正反対の二人が織りなす日常は、奇妙で、それでいて不思議な愛に満ちています。るかが「結婚して、ハワイへ海を見に行くぞ」と突拍子もない提案をすれば、たくぴは「資格がないとハワイには行けない」と独自の哲学で返す。こんな風変わりな会話の連続が、読者を二人の独特な世界へと引き込みます。
2. 「働く」とは何か?現代社会への鋭い問いかけ
「なぜ働かないの?」というるかの問いに対し、たくぴは持論を展開します。彼は、自分が社会に関わることで巨大なマイナスをもたらす「マイナスの才能」を持っており、何もしないことが世界を救うのだと語ります 。一見、突飛な言い訳に聞こえるかもしれません。しかし、彼の言葉は、現代社会における「働くこと」の意味や価値、そして社会参加のあり方について、私たちに深く問いかけてくるのです。
3. 現実と非日常が交錯する独特な世界観
物語には、徳島のバンクシーと呼ばれる人物が設置した「現実禁止」の標識や、個性的なキャラクターが次々と登場します。選挙に立候補する「我龍院強飛虎(がりゅういんつよひこ)」や、ひきこもり支援センター「光の翼」の理事長・徹など、一筋縄ではいかない人物たちが、たくぴとるかの日常をさらに非日常的なものへと変えていきます。この現実とフィクションの境界が曖昧になる感覚は、本作ならではの魅力と言えるでしょう。
4. 承認欲求、SNS、生きづらさ。現代が抱えるテーマの探求
人気ユーチューバーであるるかは、「無限に乾いた承認欲求を追いかける地獄」の中にいると感じています。一方たくぴは、ひきこもりという立場から社会との断絶や生きづらさを抱えています。本作は、SNS時代の承認欲求、社会からの孤立、そして「普通」とは何かといった、現代を生きる多くの人が共感しうるテーマを、二人のフィルターを通して鋭く、そして時にユーモラスに描き出しています。
5. 予測不能なストーリーと衝撃の結末
物語は、たくぴがるかという存在を自らの中から消し去るという衝撃的な展開を迎えます 。そして、一人になったたくぴは、ある事件をきっかけに自らの死と向き合うことになります 。しかし、物語はそこで終わりません。るかとの再会、そしてハワイへの旅立ちという、希望に満ちた結末が待っています 。この予測不能なストーリー展開と、読者の心に残るラストシーンは、あなたに深い感動と考察の時間を与えてくれるはずです。
「たくぴとるか」は、単なるラブストーリーでも、社会派小説でもありません。そのどちらの要素も内包しながら、まったく新しい物語の世界を私たちに見せてくれます。この奇妙で、切なく、そして愛おしい二人の物語に、あなたも触れてみませんか?
試し読み
1 たくぴとるか
変身とは世界に負けないための儀式。メイクしてウィッグを着けて、派手な服に着替えて、私はアイドルになる。
スマホをセット。映りを確認。よしっ、顔は衣装に負けていない。今日もかわいい。録画ボタン、ポチッ
るか:こんるか~。現実をキャンセルするために降臨した堕天使るか。現実なんて捨ててチャンネル登録しろっ。いいね、コメントなしは人間失格。でも私が許す。さっそくだけど新曲『ぼくは好き好きなによりも』
るか(歌う):
僕は好き好き なによりも
ベッドの上でも 君が好き
心の底で きみを見つめる
別の女は おばかさん
すべて退屈なお約束
宇宙はステキ UFOにキス
きっとマジメ? においをかぐよ
どうでもいいよ そこがいい
絶対いない ウザイから
笑いものは 意識してる
百人抱いて殺し合い
すぐ謝って 話し合った
どうでもいいよ そこが好き
まだ続いている 現実の
日が落ちる 一フィートまで
どうでもいいよ どうでもいいよ
君が好き好き そこがいい
るか:今日も来てくれてありがとう。またね~
ポチッ。録画を止める。ふぅ。私はウィッグを外す。アイドルもラクじゃね~ぜ。無限に乾いた承認欲求を追いかける無間地獄。再生数といいねが高速で回っているあいだだけ私は生きていることを許される。だれに? たぶん神。いつかは終わりが来る。分かってる。こんなことはいつまでも続かない。人気のあるうちに自殺しないかぎり死ぬまで人気者でいることは不可能。そして死んでも伝説はいつか風化する。
花山るかチャンネルのトップページを開く。登録者数99999999人。あと一人で一億人。ほぼ日本の人口と同じなんだけど……たくぴ?
たくぴはポイ活アプリのアンケートに答えている。日本、いや、世界一のユーチューバーアイドルが目の前で歌っていても、着替えていても見向きもしない。二〇分のアンケートで一〇〇〇ポイントもらえるんだってさ、バーカ。
たくぴが私の視線に気付いてスマホから目を上げる。
たくぴ:なに?
るか:チャンネル登録
たくぴ:やだね
るか:日本制圧できるんだよ?
たくぴ:そんな悪事に協力はできない
るか:死ねっ。じゃあ結婚しよ
たくぴ:脳に羽でも生えてんのか?
るか:結婚して、ハワイへ海を見に行くぞ
たくぴ:昭和か?
るか:昭和でもしょうがでもいいからハワイ
たくぴ:資格ってあるよな? ハワイへ行く
るか:えっ、聞いたことないけど。たくぴ、脳バグってる?
たくぴ:そりゃ金を出せばいけるさ。でも資格なしで行っても、それは本当にハワイへ行ったことにはならないの
るか:分かった。じゃあ資格とって。一級ハワイ試験
たくぴ:んなもん、あるわけね~だろ
るか:三級でも大丈夫?
たくぴ:分かんないけど、とにかく資格がないとハワイには行けないの
るか:たくぴがひとりでそう思ってるだけじゃん
たくぴ:ひとりで行ってこいよ
るか:たくぴ卑怯だよ。そんなことできないの知ってるくせに、どうしてそんなこと言う? イヤなことでもあった
たくぴ:ごめん
私はたくぴに背を向け、泣いているふりをしながら配信ボタンを押す。さっき録画した動画の再生数といいねがたちまちのうちに炎上。インターネットが壊れそうな勢いで炎はふくれあがり、私の魂が潤っていく。
るか:たくぴってなにが嬉しくて生きてるの?
たくぴ:るかと一緒にいるのが嬉しくて毎日涙がちょちょ切れそうだ
るか:こんにゃろ
たくぴは私が怒ると思っていたんだろうが、そうはいかないぜ。るか様はそんじゃそこらの女とは違うので、たくぴにぎゅーっと抱きつく。どうだ、まいったか。
たくぴ:だー、やめろ。アンケートもう終わるから
るか:てきとーにぷぷぷって押せばいいんだよ?
たくぴ:それはだめ
急にマジメになるたくぴ。
たくぴ:そりゃあ、アンケートの攻略法は分かってる。三〇代独身女性の正社員に偽装すればアンケートのポイントはいっぱいもらえる
るか:そんなこと言ってない
たくぴ:話のキモはそこじゃない
るか:キモっ
たくぴ:キモくていいから聞け。もしみんなが三〇代女性のふりをしたらアンケートはアンケートの意味をなさない。それがずっと続いたらアンケートの信頼性は地に落ちてアンケート自体なくなる。だから正直に、ありのままに答える必要がある。てきとーにぷぷぷなんてもってのほかだ
るか:たくぴってさ
たくぴ:うん?
るか:小さいところでマジメで、大きなところでDQNだよね
たくぴはなにか言い返そうとしたけど口をつぐむ。もちろんたくぴはDQNじゃない。だけど精神性はDQN、いや、それよりもワルだ。だって本当にマジメなら、たくぴと同じくらいの人はみんな働いている。なのにたくぴは明るい時間からスマホのポイ活アプリでアンケートやってる。今日は仕事が休みじゃなくて、昨日も明日もノージョブ。つまり無職。一〇年以上ヒキニートやってる……やってる?
るか:ねぇたくぴ。ヒキニートってやるもの?
たくぴ:違うね。ヒキニートは動詞じゃなくて名詞。やるものじゃなくて在り方
るか:眠くなりそうなこと言うな
たくぴ:存在を表す言葉ってこと。ヒキニートはやるものじゃなくて状態。元気とか病気とか、そういうものに近い
るか:じゃあ社長は? サラリーマンは?
たくぴ黙る。
るか:ほらぁ、社長やる、サラリーマンやる。動詞的に使えるならヒキニートもやるものでしょ?
たくぴ:そんなこと言ったら、るかも動詞だ
るか:なにそれ
たくぴ:るかにるを付けてるかる。文脈沼に引きづり込むという意味
るか:食っちまうぞ
たくぴ:それなら俺はたくる
るか:どういう意味?
たくぴ:知らね~よ
玄関のチャイム:ピンポーン
頭の悪い空気が断ち切られて、たくぴはシャキッと立ち上がる。ポイ活のアンケートは終わっている。
るか:こんな時間に誰だろ?
たくぴ:庭師の人だろ
るか:あぁ~、そうだった
昨日、たくパパは庭師の人が来るから出迎えるようにって言ってた。だからたくぴは昨日からドキドキなのである。
たくぴはビビりながら玄関まで歩き、ドアを開く。
庭師の人:あ、おはようございます。ムラマツ庭園です。予定していた庭木の剪定と芝刈りをさせていただきます
たくぴ:はい、よろしくお願いします
へっ、急にまともになりやがって、それが嘘だってのはお見通しだぞ。たくぴはドアを閉めるとガッツポーズは、さすがにしなかったけれど、顔は一仕事やり終えた充実感に満ちている。バッキャロー。それぐらいでいい気になるんじゃね~。庭師イベはまだ終わりじゃね~ぞ。
私はたくぴにグッと親指を立てて、いいねを送る。よくやったぜ。たくぴがニヤっと笑う。
たくぴは一階のリビングでテレビを見る。でも内容なんて全然入ってこなくて外の音ばかり気にしている。
庭師の人:はよせぇ。昼までにこっかからあっこまで終わらせとかなあかんだろ
返事はないけど何人かが急いで動いている音がする。ガシャン、ガシャン、ゴトン、ゴトンとあわただしい。たくぴの家はデカいのだ。玄関前の庭だけでテニスコートぐらいある。たくパパはサイトウ工業っていうアルミドア専門のドアを作る会社で社長をやっている。たく兄ぃは専務だ。たくぴは……さっき言った通りヒキニート。たくパパは息子に役職だけ与えて体裁をもたせる。なんてドラ息子仕草は許さない。たくぴだって望んでいない。
たくぴ:もしそんなことになったら僕は会社をめちゃくちゃにしてしまうだろうな
いつかたくぴはそう言っていた。本当に?
たくぴ:自信はある。だから今が正しい
だってさ。なんていうか。欲がないんだな。世間のドラ息子なんか会社の二代目を継いで好き勝手してるんだから。
正しくヒキニートしてるんだってたくぴは言いたいんだろうけどヒキニートなんて正しくないぞ。あ~あ、なんで私はこの男を嫌いになれないんだろう?
たくぴはさっきから何度も立ち上がっては窓の外をちらちら見ている。庭師の人たちが休憩するのを待っている。さっきまで聞こえていた枝を切る音は聞こえない。私も窓の外を見る。
るか:たくぴ、いまがチャンス
たくぴは唇の皮をむしっている。ビビってるな、こいつ。庭師の人たちは壁にもたれてぼそぼそとなにか話している。スマホでなにかを見ている人もいる。ぜんぶで三人。こっちは二人。一人足りないけど、ここはたくぴの家だから有利だ。
たくぴは突如として冷蔵庫へ向かい、扉を開けると、ジョージアエメラルドマウンテンの缶を三つ手に取る。たくパパが事前に用意していたものだ。たくパパにぬかりはない。
たくぴは合戦へおもむくように足音を立てて進む。すべての動きが荒々しい。玄関で靴を履いていると傘立てが倒れる。事件が起きたような激しい音が鳴る。たくぴは傘立てを元の戻そうとしたけれど、やっぱりやめてドアを開ける。
たくぴ:ごくろうさまです。もしよかったらこれ飲んでください
たくぴが缶コーヒーを庭師の人たちに手渡している。缶コーヒーはなぜかジョージアエメラルドマウンテンでなければならないらしい。妥協は許されない。何年か前にたくパパは近所のコンビニにもスーパーにもエメラルドマウンテンがなかったので徳島市まで車を走らせて、たった六本の缶コーヒーを二時間もかけて買いに行ったことがある。なぜエメラルドマウンテンでなければならないのかとたくぴはたくパパに聞いたことがあるが「そんなの当たり前だ」って有無も言わせない口調だった。いや、ホントに。たくぴがその疑問を発した時、たくパパは、たくぴが「地球は平らだ」って大マジメな顔で言い出したような顔をしていた。だから差し入れのコーヒーがジョージアエメラルドマウンテンなのは地球が丸いのと同じぐらい常識で、それに疑問をもつことは正気を疑われることなんだって、たくぴは飲み込んだ。でも、なんでなのかなってまだ考えている。たくぴは疑問の物持ちがいいのだ。
たくぴ:飲み終わったらここに置いといてください。こっちで捨てるので
庭師の人:ありがとうございます
たくぴ:いえ、こちらこそ。ごくろうさまです
たくぴは家に入ると靴を脱ぎ捨て、猿のように飛び回る。叫びたがってもいるけど、それはさすがにおさえて自分の腕を噛む。傘立ては倒れたままだ。
たくぴはソファーに飛び込んでごろごろ転がる。なにしてるんだ、この男は? 頭がおかしい。コーヒー渡したくらいでバグるな。
るか:あっ、豊臣秀夫だ
テレビに豊臣秀夫が映っている。たくぴはピタッと動きを止める。豊臣秀夫は令和の今太閤と呼ばれている。ネクストワールドというAIの社長をやっていて、たくぴと同い年だ。かたやヒキニート、かたや社長。あいつの言っていることは全部デタラメ。詐欺師だってたくぴは言ってる。でもこの前この人の『豊臣語録』という本が三〇〇万部売れたってニュースになってた。たくぴ以外にも嫌っている人は多いけど好きな人も多い。しょっちゅう発言が炎上しているけれど人気はむしろ炎上するたびに大きくなっている。本人も「アンチは味方」と言っている。
るか:ラグビーチーム買収だって
たくぴ:静かにしてくれ
豊臣秀夫:いちじるしい近代化を行いながら他の先進国が体験している事実が存在しない点において日本は評価されています。しかし同時にパラダイム転換が非合理な理由で行われました。日本礼賛のすべてが間違っているわけではありませんが強いリーダーを望む誤った理由が政治レベルでは合理性を持ってしまっています。現代日本に生きるアナーキストは満足するべきですね。文化に依存したプレゼンスによって規則や基準なしに進む対立合理性が言語的に不明確になっているのだから。これを議論したいのであれば西洋的なリーダー像のイメージを輸入しなければならないでしょう
たくぴはふっと鼻息をもらす。テレビも消す。あんなやつ詐欺師に決まっている。そんなことを言っても豊臣秀夫は何千億も稼いで、本も売れて、ラグビーチームを買収している。たくぴは庭師の人にコーヒーを出しただけで猿になるぐらい脳が焼ける。人としての価値は月とスッポン。もちろん月はたくぴ。だって月に値段はついてないもんね。ノープライス。
庭師の人がお昼を食べていてもたくぴはゲロ吐く寸前まで緊張していたから水しか飲まなかった。というか飲みまくった。夕方にはおしっこを出しすぎてフラフラになっていた。体の水分三回ぐらい入れ替わったんじゃないかな。荷台を枝と葉っぱでいっぱいにしたダンプカーも同じくらい家の前を行き来した。
庭師の人:ありがとうございました
夕方に仕事を終えた庭師の人が玄関のドアを開ける。たくぴは玄関に出る。
たくぴ:ごくろうさまです
庭師の人:またなにかあったらいつでもご連絡ください
たくぴ:はい、ありがとうございました
庭師の人が頭を下げてドアを閉める。
たくぴ:あっ
玄関のドアの擦りガラス越しに、庭師の人がかがんで玄関に置いたジョージアエメラルドマウンテンの空き缶を拾う姿が映る。たくぴはあわあわして、出ていって止めるべきか、出ていかざるべきか迷う。
るか:いっちゃいな
たくぴ:忘れていたわけじゃない。あの人たちが帰ったら外の水道で洗おうと思ってた
ダンプカーのエンジン音が玄関のドアを揺らす。
たくぴ:仕事している時に洗ってたら負い目が湧くだろ
るか:もう遅いね
たくぴ:枝を切ってる時にさ、背中で空き缶洗ってる音がするんだ。しかもそれはさっき自分たちが飲んでたやつでさ
ダンプカーがガルガルと音を立てて走り去る。ざらざらした沈黙。たくぴは猿から人間に戻る。人がいなくなったら正気に戻りやがったぜ、こいつ。そわそわしていた体も落ち着く。
たくぴ:腹減った。昼なんにも食べてない
たくぴはキッチンへ行くとボウルに小麦粉を出す。だいたい目分量だ。そこに水とドライイーストを入れてこねる。五分ほどこねて、塩ひとつまみ。生地がべとつくようなら、さらにひとつまみ。生地がまとまったら丸く固めてラップで包み、レンジでチン。そのあいだに玉ねぎ、ウインナー、パイナップルを切る。生地をレンジから出すと手で伸ばして、ケチャップを塗り、玉ねぎ、ウインナー、パイナップルをのせ、チーズをふりかけてオーブンへ。生地をこねる前から予熱していたので中は250℃に温まっている。
るか:たくぴの計画性って人生にちっとも生かされないね
たくぴ:ありすぎるから困ってる
るか:もしたくパパが死んだらどうする?
たくぴ:兄ちゃんが跡を継ぐ
るか:たくぴは?
たくぴ:どのルートを行っても結末は一緒なんだぜ?
るか:結末までの道のりってあるよね?
たくぴ:もしるかと出会わないルートだったら、とっくに自殺してるね
たくぴ……ぎゅーってしてやる。と思ったら、たくぴはすっと私の手をすり抜ける。死ね……計画性。
るか:なんでもお見通しか?
たくぴ:ピザが焼けるから
るか:ピザよりぎゅーっだろ
たくぴ:生地がふくらんできた
るか:心がしぼんでもいいのかバカヤロー
ぎゅーっ。不意打ちのぎゅーっ。これも計画のうちか? 脳が破壊されるだろ、いいかげんにしろ。このままでは頭がバカになってしまう。私はたくぴの腕から風のように脱出。
るか:いきなりぎゅーってセクハラなんですけど
たくぴ:炎上したっていい
るか:アカウント持ってないくせに
たくぴ:燃えるためだけに作ってもいいんだぜ
るか:自分がいまなにを言ってるか分かってる?
たくぴ:分かってない。ノリで言ってる
チーン。オーブンのタイマーが鳴る。
たくぴ:あちち
たくぴはなんにも分かってない。ピザを取り出そうとして指が天板に触れてしまったたくぴを私は見る。
『登録者数99999999人のユーチューバーアイドル花山るかの熱愛発覚!』なんてニュースが流れたら炎上どころかインターネットが爆発しちゃう。別に爆発してもいいけど、この家は週刊誌のパパラッチに囲まれちゃうよ。ワイドショーのカメラも来るよ。分かってる、たくぴ? 庭で枝を切るよりすごいことになるよ。たくぴがいるって知られたら世界は放っておかないよ。体の水分なんて十回ぐらい入れ替わるんだから。
育ちのいいたくぴは手づかみでピザにかぶりついたりはしない。ナイフとフォークで食べる。
るか:ねぇ、ハワイ
たくぴ:またそれか
るか:行きたいくせに
たくぴ:行く資格がないから行けないんだ
るか:パイナップルをのせたピザはハワイアンピザって言うんだって
たくぴはテーブルの中央に置いてあるペッパーミルを手に取ると、それをひねってピザにコショウをかける。
るか:つまりそれってさ、たくぴはハワイに生きたくてしかたないってこと
たくぴ:ハワイアンピザは珍しくない。三日前にも食べた
るか:フロイト先生なら、たくぴのハワイへ行きたい欲求がピザになって表れたって言うね。この世に無意識なんてなくて、すべては形を変えて表出する。この世に隠されたものなんてなにひとつないんだよ
たくぴ:明日は違うの作る
るか:また作るけどね
たくぴ:パイナップル食う?
ピザで使わなかったぶんのパイナップルがお皿に詰まれている。たくぴは指で一枚つまんで、それを食べる。ハワイの匂いが私の鼻に入り込んでくる。
私はパイナップルの空になった缶を見る。それはキッチンで洗われて、逆さに干されている。原産地のところには台湾の二文字がある。
たくぴ:台湾ってどこにあるか知ってる?
るか:どこ産かは大事なことじゃない。パイナップルはハワイなんだよ。たとえ台湾でもアラビアでも南極でもパイナップルの香りは世界中どこからでもハワイにつながっている
たくぴ:原産地はブラジルだって
食事中にスマホをいじるマナー違反のいじわるたくぴ。ブラジルのカバに蹴られろ、バーカ。
ピザを食べた後は紅茶タイム。茶葉はリプトンのイエローパック。一度湯を入れて二〇秒待ち、カフェインを抽出させてから湯を捨て、ふたたび湯を入れるのがたくぴ流。中学の時にイギリスから来た英語の先生がそういう淹れ方をしてるって聞いてから、それが唯一の正しい紅茶の淹れ方だってたくぴは信仰している。砂糖と牛乳を入れて、ちょっとぬるくなったのを一分以内に飲み切る。これもたくぴ流。イギリス人でもないのにマナーにきびしい。でも時々考えたりしてるみたい。あれはもしかしたら、なにも知らない日本の中学生をからかったジョークなんじゃないかって。特に熱々の紅茶で喉の奥がヒリヒリ焼けている時なんかにはね。
るか:あ~そういうことか
たくぴ:なに?
るか:紅茶の原産国は中国だけど、紅茶のイメージはイギリス。それってイギリスが紅茶のイメージを生産してるってこと。つまり想産国
たくぴ:へんな造語作るな
るか:パイナップルも想産国はハワイ。だから原産国はどこであろうとパイナップルはハワイなんだよ
たくぴ:へーへー分かりやした
たくぴは洗いものを済ませると、戸締りをして日課の散歩をする。私も一緒に行く。ブルートゥースのイヤホンを半分こして同じポッドキャストを聞く。
たくぴはすごく速く歩く。速いというよりは大股で歩く。こうすると時間あたりの歩数が稼げるんだって。ポイ活アプリのカウント上限二万歩を二時間かけて歩く。一〇〇〇歩ごとにポイントが加算されて、広告を見るとポイントが六倍になるから途中で休憩&広告タイムがある。
広告:シミ、しわ、お肌の悩みを改善
広告:自由な働き方、仕事を探すならライフワーク
広告:マンガを無料で読むならセブンティーンブック
たくぴに関係ない広告がいくつも流れる。たぶん広告からなにかを買ったことって一度もないんじゃないかな? たくぴは画面をじっと見つめてスキップボタンが出るのを待っている。ムダな時間ゼロでスキップ、次の広告、スキップ、次の広告、スキップ、次の広告、スキップ……もはや何の広告が流れているのか分からなくなる。今夜は月が出ていない。なんてことを私は考える。
イヤホン:‥‥‥でね。ナルドーの食べすぎで冒険隊は食欲を満たしながら、そして大量のうんこを毎日出しながら餓死していったわけなんですよ、これってすごくないですか?
さっきまで聞いていたポッドキャストの音声が耳に入ってくる。
イヤホン:この話が面白いのは現地に住んでいる人、原住民の人たちは普通に暮らしているってことなんですよ
るか:行く?
たくぴ:うん
イヤホン:いや、あなた、死んだ人のことを面白いとか、そんなこと言っちゃいけません
私とたくぴは月のない夜を歩く、歩く、歩く。風で冷えた体もすぐに暖まる。
イヤホン:ちょっと冷静に考えてみてください。たとえばもしアメリカ人が日本に来て、サイフとかスマホとか落っことして、なにも分からなくなって、まぁそれってたしかに大変なことなんですけど、でもそれで何日か後くらいにパタッと餓死したらどう思います? バッカだなーって思いません?
るか:今日はそっち?
たくぴ:うん
たくぴは週に三度、散歩の途中で神社へ行く。鳥居にぶらさがって懸垂するのだ。腕だけじゃなくて、足を上げて腹筋も鍛える。どれもごく短い時間だけど、たくぴはへろへろになって息をハーハー吐く。筋トレが終わったら二人でおまいり。お金は持っていないからお賽銭はなし。
二時間歩いた私とたくぴは家の近くまで帰ってくる。すると道の向こうから知っている影が歩いてくる。
三好さん:あぁ、こんばんは
たくぴ:こんばんは
三好さん:毎日がんばんりょんでぇ。お父さん元気にしょん?
たくぴ:はい
声をかけられたので、たくぴは足を止めてイヤホンを耳から取る。
三好さんは散歩中に出会う謎の老人で、なぜかたくぴのことを知っている。たくぴ以外のことも知っている。たとえばたくパパのいとこのお嫁さんの妹の息子さんが通っている習字教室の先生が高校生の頃に通っていたアルバイト先の店長の孫がおばあちゃんの介護施設に行った時にオレンジジュースをこぼした事件まで知っている。インターネットでは絶対に知ることができないローカルネットワークの権化みたいな存在だ。外見はカラッとした好々爺で、赤ら顔。根元まで白い前髪を真上に立てている。誰からも好かれていそうで、いつも笑っている。
実のところ三好さんが三好さんかは分からない。ずいぶん前に家に入っていくところを見て、別の日にその家の前を通ったら表札に三好とあったから三好さんと認識しているだけで、本当は別の名前かもしれない。町内でならどこにでも出没して、いつもどこかに行っている雰囲気がある。
三好さんは一〇分ぐらい喋りに喋る。そのあいだにたくぴは「うん」とか「はい」とか「そうなんですか」と相槌を打っている。それ以外の言葉を口にしないが三好さんはどんどん喋り続ける。
三好さん:ナベシマがつぶれたらしいけど、ほうなったらますます景気ようなるなぁ。徳島県で大きいとこいうたらもうお父さんのとこだけでえなぁ?
たくぴ:はい
三好さん:サイトウ君もがんばりよ。じゃあ
たくぴ:じゃ
ようやく話が終わり、三好さんはどこかへ行く。
るか:たくぴは徳島県のドア業界なんて知らないから、もし聞かれたらどうしようかってドキドキだったね
たくぴ:二代目のボンボンと思ってるんじゃないか?
るか:いつもあれだけ喋るのに「お仕事は?」って即死級の言葉が出たこと一度もないもんね
たくぴ:ヒキニートなんて常識外れの存在だから想像もしていないんだろう
るか:いまから追いかけてたくぴの正体教えにいこっか?
たくぴ:俺は普通を愛してるんだ。誰かの普通を壊したくない
るか:やめちゃえばいいのに
たくぴ:そうしたいよ、本当に
たくぴは家に帰るとすぐお風呂に入る。たくぴの肉体は毎日二万歩歩いて、神社の鳥居で懸垂してるせいか筋肉モリモリゴリラというわけではないけれど無駄な肉が付いていない、かといって貧弱ではなく筋肉の盛り上がりがそこここにある引き締まった体をしている。別に体が好きってわけじゃないけど、たくぴが良い体をしているのは嬉しい。
たくぴ:えっ
たくぴが体を洗っているところに私も侵入。あわてるたくぴに私はご満悦。二人とも体を洗った後は湯船に重なって入る。社長の家でも湯船は一人分なのだ。
スマホ:はっきり言って人間はザコです。無人島に何の準備もなく猫と人間を投下したら、猫は三か月後でも生きているけど、人間は死にます。これはもうほぼ確実と言ってもいいぐらい。いや、ロビンソンクルーソーとかあるじゃんって言うけど、あれって現実の裏返しで、普通はありえなからこそ物語になるんです。じゃあどうして人間が地球を支配しているのかと言うと……
ドアの向こうから音量を最大にしたポッドキャストの声がする。
るか:もし人類が滅んで私たちだけになったらどうする?
たくぴ:子どもつくる
るか:何人?
たくぴ:五〇億
るか:マンボウでも無理だよ
たくぴの珍回答で私の笑い声が浴室に響く。
るか:五〇億はいいけどどうやって育てる?
たくぴ:それぐらいいないと元に戻らない
るか:地球の人口ってもっといたような
たくぴ:それぐらいでちょうどいいよ
たくぴはお風呂を出る。ソシャゲの体力が回復しているので消費。ログボは朝に取っているし、イベント周回も済ませているから他の人と話すのがメイン。でも今日は他の人がログインしていないので五分で切り上げる。それが終わるとポイ活アプリで広告を見て、今日歩いた分のポイントを六倍にしていく。
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たくぴはじっと画面を見つめスキップボタンが出現するとゼロタイムでプッシュ。次の広告、スキップ、次の広告、スキップ、次の広告、スキップ……こうして一日が過ぎていく
つづきは本編で


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