『マジェドラ』リリース記事
【ヤクザのトリビア】
ヤクザは組から給料をもらえない。むしろ組員は組に上納金をおさめなければならないシステム。
【内容紹介】
徳島のオタク少年だった黒川ケンジは社会からの偏見から暴力に目覚め、ヤクザの道を歩む。刑務所で完璧な犯罪ビジネスを模索した彼は「エロゲで資金洗浄を行う」という画期的な仕組みを生み出す。徳島一のエロゲ企業を築き上げるが、かつての恩義や警察の捜査など様々な要素が絡み合い、彼の人生は波乱に満ちていく。オタク文化、暴力、ビジネスが交錯する異色の社会派エンターテインメント。
ヤクザとエロゲ、常識を破壊する熱狂がここにある――今こそ小説『マジェドラ』を読むべき5つの理由
元ヤクザにして、売上1兆円超を叩き出すエロゲー会社のCEO。そんな型破りな主人公が、裏社会の常識と現代ビジネスの論理を融合させ、前代未聞のスケールで成り上がっていく物語、それが牛野小雪氏による小説『マジェドラ』です。本作は単なるエンターテインメント小説にとどまりません。現代社会を生き抜くための哲学、心を揺さぶる熱狂、そして人間の業と愛が渦巻く、まさに「読む劇薬」とも言える作品です。なぜ今、私たちは『マジェドラ』を読むべきなのでしょうか。その強烈な魅力を5つのポイントから解き明かします。
1. 狂犬にしてオタク、最強の経営者・黒川ケンジという男
本作の主人公、黒川ケンジ。彼は「どこにでもいる普通のオタクだった」 と自称しますが、その実態は「徳島の狂犬」と呼ばれヤクザさえも震え上がらせた伝説の元ヤクザです 。ヤクザの世界で若頭にまで上り詰めた彼は、ある出来事をきっかけに裏社会から足を洗い、エロゲのソシャゲ会社「マジェドラ」を立ち上げます 。彼の魅力は、ヤクザとしての圧倒的な暴力性と度胸、そして根っからのオタクとしての深い知識と情熱という、相容れない二つの顔を併せ持つ点にあります。従業員を鼓舞するためにデスクに飛び乗り、狂気的な演説で熱狂を生み出すかと思えば、ゲームのクオリティには一切妥協せず、声優に鬼気迫る演技指導を行う 。この狂気と理性が同居するカリスマ性が、彼を唯一無二の主人公たらしめているのです。
2. 「シノギをしないシノギ」―常識を破壊するビジネス戦略
『マジェドラ』の面白さの核となるのが、ケンジが構築した前代未聞のビジネスモデルです。表向きは売上1兆円超のエロゲのソシャゲ運営会社ですが、その実態は「裏社会の金を綺麗にするシステム」 。ヤクザたちが欲しがる「綺麗な金」を提供するという、まさにゴールドラッシュでジーンズを売ったリーバイスのような「シノギをしないシノギ」を編み出したのです 。さらに、競合他社を叩き潰すためには手段を選びません。フェミニストやアンチフェミニスト、さらにはメディアまで巻き込み、SNS上で壮大な炎上劇を自ら仕掛ける情報戦 。政治家や宗教団体さえも手玉に取り、自社の利益のために社会のルールそのものを書き換えようとします 。その常識外れの戦略は、現代ビジネスやマーケティングに関心のある読者にとって、刺激的な思考実験となるでしょう。
3. 個性的すぎるキャラクターたちが織りなす人間ドラマ
主人公ケンジを取り巻く登場人物たちも、一筋縄ではいかない魅力的な人物ばかりです。- まさやん: ケンジの弟分。致命的に頭は悪いが 、なぜか憎めない純粋さを持つ男。彼の存在が、ケンジの人間的な側面や物語の重要な転機を引き出します 。
- 一条:ケンジを執拗に追い詰める刑事。モデルのような容姿に、底知れない知性と執念を秘めた宿敵です 。二人の交わす禅問答のような会話は、物語に緊迫感と深みを与えます。
- 水谷くん:マジェドラにハッキングを仕掛けたことからケンジに拾われる天才 。彼の異次元の才能が、後にマジェドラを新たなステージへと押し上げます 。
- レイ:ケンジが支援交際で出会う、アーマードコアを愛する令和のオタクギャル 。彼女との交流は、ケンジにかつてのオタクとしての自分を思い出させ、物語に一服の清涼剤となっています 。
これらの個性的なキャラクターたちが織りなす、友情、裏切り、愛憎のドラマが、物語に豊かな彩りを与えています。
4. 現代社会への鋭い風刺と問題提起
『マジェドラ』は、現代社会が抱える様々な問題を大胆に取り上げています。90年代の苛烈な「オタク差別」 、表現の自由を巡るフェミニストとアンチの対立 、政治とカネの問題 、そして少子化問題 まで。作中で描かれるこれらの事象は、フィクションでありながらも、現実社会を鋭く映し出す鏡となっています。物語を通して、読者はこれらの問題について改めて考えさせられることになるでしょう。
5. 心を揺さぶる熱量と、明日へのエネルギー
「俺たちの使命は何だ!」「環境破壊!」「その結果起きることは何だ!」「少子化!」これは作中の朝礼の一コマです。不謹慎で過激な言葉の裏にあるのは、常識の枠を壊し、限界を超えて突き進もうとする圧倒的な熱量です。
試し読み
1 どこにでもいる普通のオタク
俺の名前は黒川ケンジ。どこにでもいる普通のオタクだった。
小学生の頃、徳島県ではエヴァンゲリオンが深夜に放送されていて、当時は野球中継でしょっちゅう時間がズレていたのでビデオの予約機能は役に立たず、生で見るしかなかった。深夜に布団から起き出し、テレビを見ていると母親によく怒られたものだ。
実のところエヴァがこんなにブームになるとは思っていなかった。ロボはかっこいいが主人公がうじうじしていて弱そうなのが好きになれなかった。俺はエヴァよりもガオガイガーが好きで、なんなら今でもそっちが好きだ。でもそれはかっこいい軸の話であって1番ハマっていたのはカードキャプターさくらだ。
90年代平成の日本に存在していた三大狂気、その一角をなすのがオタク差別だ。オタクというのは法が未整備でまだつかまっていないだけの犯罪者みたいな扱いだった。なにかの事件で犯人の部屋からマンガかアニメが発見されると核兵器の材料が発見されたかのように報道されていた。令和になってみると、それは炊飯器を開けたら米が入っていた程度のことだが、当時はそれが犯行に手を染めた狂気の一端であると信じられていた。アニメを見るから頭がおかしくなるのではなく、頭がおかしくてもアニメぐらいは見るという単純な事実を誰も考えなかった。すくなくとも表立って口にすることはなかった。
中世の魔女狩りのようにオタクは迫害されていた。今でも年寄りからはむき出しのオタク差別が飛び出してくる時がある。そういう時、まだ10代の頃の響きを感じて逆に胸がウキウキする。
オタク差別の恐怖はあの時代を生きた人間の魂に深く刻まれている。自転車の乗り方と同じように生涯消えることはないだろう。あの時代を知る人間が公の場でアニメやマンガを語る時、それ以降の世代と違って一歩引いたような印象があるのは、それが理由だ。
子どもがアニメを見るのはいい。しかし、子どもではないのにアニメを見るやつはオタクだ。俺は中一になるとアニメのアの字も知らない顔をして生きるようになった。それどころか勢い余ってヤンキーになってしまった。自分でも知らなかったが俺は強かったし度胸もあった。ありていに言ってしまえば最強だ。相手が1人でも10人でも同じで、ナイフが出てきても関係ない。自分でも不思議になるほど最強だった。
俺は中1で学校のヤンキーが全員ヤンキーをやめるまで殴り続けた。具体的には頭を丸坊主にして制服をちゃんと着るようになるまでだ。オタク差別はヤンキーが作り出しているという確信がなぜか俺の中にはあって、ヤンキーがいなくなればオタクが安心して生きていられる世界が作れると信じていた。ヤンキーにとってはいい迷惑だろう。
俺はチャリを漕いで他の学校のヤンキーも殴りに行った。いま振り返ると完全に頭がおかしい奴だ。そんなことをしていると当然警察のお世話になる。ヤンキーを殴ってなぜ捕まるのか俺は理解できなかった。理不尽な仕打ちを受けていると世界を憎んだ。だから警察も殴った。もちろん捕まった。
高校になると汽車に乗って遠くのヤンキーも殴りに行くようになったので、徳島県警では徳島の狂犬と呼ばれるようになっていた。いまでもその伝説は語り継がれているらしい。すでにその頃からヤンキーの数は全国的に減少の一途をたどっていたが、徳島県に限って言えば俺がいたからヤンキーが消えたと思っている。
ヤンキーと警察を殴るようなやつに普通の人生が待っているはずもなく、活きのいい面白いやつがいるというので俺は金餅組(かねもちぐみ)のスカウトを受けてヤンキーからヤクザになる。高校は中退、最終学歴は中卒だ。
ヤクザになって意外だったのは、殴り合い、殺し合いの世界ではないということだ。殴る、殺す、はもちろんあるが、あくまでそれはビジネスであって、感情に任せて暴力を使う人間は遠からず消えていく。根がヤンキーだとすぐに消えるということだ。俺は根がオタクなものだから、失敗することもなく、むしろヤクザの才能があったようで、あれよあれよという間に若頭まで昇りつめて徳島のドラゴンと呼ばれるようになる。
しかし、つまらないことをして警察に捕まり、刑務所に入ることになった。いちおう言い訳をすると俺のミスではない。弟分のまさやんに子どもが生まれるというので、俺はあいつの代わりに捕まっただけだ。肝心なところは黙秘を続けて証拠も決定的なものではなかったので3年の刑期だった。まさやんはいまでもそれについて礼を言う。バカなことをしたと俺は思う。この世界では情を出した人間から消えるのだ。それでも俺はなぜかそうしたい、そうしなければならないという感情に駆られていた。そして3年を棒に振った。これが人生の契機になるのだから運命とは分からないものだ。
小学校、中学校が表の学校とするならば刑務所は裏の学校だ。犯罪者たちはここでシノギ(裏社会の仕事)の手口を教え合う。俺もそこで学び直しをしていたが、ふとこいつらは知ったような口をきいているが全員失敗しているやつらだと気付いて輪に入るのをやめた。失敗したやつから学べば失敗を学ぶだけだ。
もっと完璧なシノギを考えなくてはならない。俺は来る日も来る日も考え続けて衝撃の事実にぶち当たる。どんなシノギも不完全性を排除することはできず、長期的には必ず失敗するということだ。完璧なシノギをするには神のような能力と自制心が必要だが、神ならシノギをする必要がない。人間である限りはどんなに優秀でもシノギを続ければ必ず捕まる。
俺はシノギをしないシノギを考えるようになった。そんなことができるのか? まるで禅問答だ。刑務所では5日に1回坊さんが来て受刑者は座禅を組み、公案という答えがない問いを考えさせられる。いつも同じ公案が出ていたので「いま考えていることを考える前は何を考えていたかを考えなさい」という言葉をいまでも憶えている。
座禅の後に受刑者たちはそれぞれ座禅している時に考えたことを坊さんに答える。たいていは「分からない」だが、ある日俺は「悟りを開くのは不可能だと分かっていても悟りを開こうとするのは無駄ではないか。座禅するのも無駄ではないだろうか」と答えると「完全に悟るのは素晴らしい。半端に悟るのも素晴らしい。まったく悟れないのも素晴らしい」と坊さんは言った。その瞬間、俺の禅問答に決着がついた。いままで考えた断片の一つ一つが頭の中でつながったのだ。「次回からは来なくてよろしい」と坊さんは言った。
はるか昔、アメリカでゴールドラッシュという現象が起きた。カリフォルニアで金が掘れるというのでたくさんの男たちが一攫千金を求めて集まった。しかし、実際に財をなしたのは極一部で、本当に儲けたのはリーバイスだ。採掘労働に耐える丈夫なズボンは飛ぶように売れた。ゴールドラッシュの勝者は金を掘る者ではなくジーンズを売る者だった。
ヤクザが欲しているものは何か? 金、メンツ、女、そんなところで、その中でも金は一番重要だ。ゴールドラッシュの時代から、日本でもアメリカでもそれは変わらない。俺はここでリーバイスすることを考えた。金は掘らない。金を掘るヤクザを相手にシノギをする。
ヤクザの金に関する欲の中でも、特に切実な悩みは綺麗な金が必要ということだ。それは法律的にもそうだし、心理的にもそうだ。まず違法な金を大量に動かすと必ず税務署か警察が嗅ぎつけて金の流れを探ろうとする。『金と女の流れを追え』は今も昔も、たぶん100年後でも通用する黄金律だ。
ヤクザはあくどいことをして金を稼ぐが、その金をすぐに手放したがる。シノギで得た金は心の会計で『汚い金』に勘定される。金に色はついていないと言うが心はだませない。犬のウンコがついた金を財布に入れ続けたい人間なんてどこにもいないのだ。このためにヤクザは大量の金を得てもすぐに使い果たしてしまい、資金の余裕のない状態で次のシノギに手を出してしまう。資金に余裕がなければ心にも余裕がなくなる。資金の欠乏は思考資源を圧迫する。要はバカになる。当然それはシノギの失敗につながる。
本来シノギで得た金は貯蓄債券にでも回して計画的に運用するべきだ。なにかあった時や、良い状態が巡ってくるまでじっとしているためには必ず金が必要になる。ヤクザだってそれぐらい分かっているが、悪銭身に付かずということわざ通り、汚い金を持ち続けるのは難しい。なので汚い金は洗う必要がある。法律的に、そしてなにより心の平和のために。
女の声:あああああ♪
俺:あいつ、俺のゲームをどうするつもりだ
俺は録音室の厚いドアに体当たりして中に入る。白い台本を丸めて持っている女がマイクの前に立っていたが、俺と目が合うと一歩後ずさる。
俺:おい、名前は?
女:高橋です
俺:声優は?
高橋:え?
俺:何年やっているか聞いている
高橋:2年です。学校は3年行きました
高橋。やっと名前を思い出した。新キャラ会議で有望な声優がいるというので決裁書類にハンコを押したのが2か月前というのも思い出す。報告通り有望そうだ。ビビってはいるが声はブレずに出ている。
俺:いまの喘ぎ声ではダメだ。ジャンヌはモンスターの苗床にされようとしている。触手責めに遭って人生の危機だ。剣は折れて自分で死ぬこともできない。快感に負けてしまうということは、これから死ぬまでモンスターの卵を産み続ける人生を受け入れるということ。だから気持ち良くなってはいけない。でも気持ちいい。その時に出る声があああああなんだ
高橋:あああああ
俺:違う。あああああ!
高橋:あああああ!
俺:人生の喪失がかかっているんだぞ、もっとまじめにやれ
高橋:あああああ!
俺:快感に対する理性の抵抗だ
高橋:あああああ!
俺:まだやれるか?
高橋:やれます
俺は高橋という声優の目を見る。彼女はしっかりと俺を見返している。もし休ませてくださいと言ったら、すぐさま責任者をクビにして、高橋の契約を打ち切り、新しい声優を探すつもりだった。
俺は録音室を出ると、防音ガラス越しに高橋を見る。画面にはジャンヌというキャラが触手に襲われているところが映っていて、高橋が声を当てている。
俺:最初から録音し直せ。もっと良くなる
録音担当者は腰を浮かせて振り返るが、俺はそのまま収録室を出る。クオリティを上げられるなら一切妥協してはならない。駆け出しの声優だからといって努力賞でリリースするほど俺のゲームは甘くない。やるからには最高品質だ。才能は絞り出してもらう。
第一戦略室に入る。広いフロアで150人の人間が働いていて、いつものように騒がしいが活気が落ちているような気がする。よくない兆候だ。火に油を注ぐ必要がある。エンジンはいつだって最高出力であるべきだ。
俺:みんな手を止めてくれ
俺はマイクを持って、デスクの上に飛び上がる。マイクはこういう時のために、いつでも用意されている。取り回しが良いようにワイヤレスだ。
俺:重要な仕事をしている人も手を止めてくれ。これはもっと重要なことだ。電話、おい、電話は切れ。いますぐだ。
俺が指差すと電話をしている従業員は受話器に向かって言葉をまくし立てながら電話を切る。別のところで電話が鳴るが、近くにいた従業員が電話線を引き抜いた。第一戦略室は10秒前とは打って変わって静まり返る。150人の従業員がみんな音も立てずに俺を見上げている。
俺:はじめに言わせてもらう。このチームは最高だ。最強のチームだ。ありがとう。君たちのおかげでマジェドラは世界最高の会社になれた
何人かが口に笑みを浮かべる。俺はPCや書類が置いてあるデスクの上を歩きながら続ける。
俺:去年の売上は……
従業員:1兆2千億!
俺:そう、1兆2千億。今年の目標は1兆5千億。今年はもう6か月目が終わろうとしているが、すでに8千億……8千億……それで満足できるのか? これと同じペースで今年を終えたら1兆6千億。目標達成だ。でもよく考えてほしい。日本の人口は1億人だ。1人あたり1万6千円しか使っていない計算になる。たった1万6千円……本当にこれで満足か? 俺たちはエロゲのソシャゲをやっている。だから男しかやらない? いいだろう。そういうことにして、2倍の3万2千円、これで満足か? そうじゃないだろう。本当なら恋人とデートして、結婚して、子どもができて、家族の幸せに使われるはずだったお金を俺たちはがっぽりいただいている。こんなじゃまだ全然足りない。
机を叩く音:ドン……ドン……ドン……ドン……
1人が机を叩き始めると他の従業員もリズムを合わせて机を叩き始める。オフィスドラムだ。フロア全体が不満のドラムとなって世界を揺らしている。ドラムのリズムは徐々にビートを上げて、叫び声を上げる者も出始める。
俺:正しいことに使われるはずだった金を全部いただけ。世界中の人間の脳みそにぐりぐりと手をねじ込んで、時間と金を引きずり出せ。俺たちの使命はなんだ!
従業員たち:環境破壊!
俺:オイルショックが起きるまでティッシュに精子を吐き出させろ。その結果起きることはなんだ!
従業員たち:少子化!
俺:そうだ! 少子化! 少子化万歳! 俺たちに未来は?
従業員たち:存在しない!
俺:俺たちに時間は残されていない。世界が終わる前にすべての金をかき集めろ! 終わり!
フロア中に書類の白い紙が舞い上がる。こんなに散らかして後でどうなるのか分からないが活気は戻った。みんなアクセル全開だ。カオスと熱狂に包まれて俺はデスクを飛び降りる。そこに秘書の宝条が歩み寄ってくる。彼女はいつもシャネルのスーツに身を包んでいて、音を立てずに素早く動く。
宝条:一条さんという方が社長に会いたいと訪ねて来られています。どうされますか?
俺は顔をしかめる。アポのない面会なら彼女は俺に聞かずに断るだろう。しかし一条は警察だし、面会の申し出の時にもそう告げただろう。だから宝条も断るわけにはいかない。
俺:すぐ通してくれ、社長室で
宝条:かしこまりました
なぜ警察が俺に会いに来たのか彼女は当然考えただろう。しかし、それを顔に出さず言われたことに取りかかる。考えないやつはダメだし、顔に出すのもダメ。考えて、なおかつ顔に出さないのは得難い人材だ。
俺は社長室に入ると、椅子に座って気持ちを落ち着けようとしたが、一条の姿を思い浮かべるとじっとしていられなくなり、窓のそばに立って地上を見下ろす。
マジェドラタワーの34階からはマジェドラタウンだけではなく徳島市まで眼下に広がっている。徳島で一番高い建物なのだ。家の一つ一つは指先より小さく、白くかすんでいる。
ドアをノックする音がする。男が2人入ってくる。1人は知っている。一条だ。昔と少しも変わっていないので不気味さを覚える。
一条はモデルのようにすらりと伸びた長身に黒革のロングコートを着ている。髪は真上に伸びたリーゼント。もう一人は金髪パーマに赤いスタジャンを着ていてチンピラにしか見えないが、こっちも警察なのだろう。警察の人間はいつも2人組で動く。
俺:やぁ、こんにちは。よく来てくれました
一条:私のことを憶えておいででしたか
俺:忘れるもなにも10代の頃はよくお世話になりましたから。名前も顔も忘れるわけがありません。そういうものでしょう?
本当にそうだ。徳島の狂犬と呼ばれていた頃、俺はボクシングのチャンピオンにだって勝てると思っていた。テレビで見ていても、こんなものかと思っていたものだ。ボクシングならともかくケンカなら100回やって100回とも俺が勝っただろう。しかし一条だけは絶対に勝てないと思った。見た瞬間にそう思ったし、事実、いつも俺は地面に倒されていた。しかも一条は息をするより簡単にそれをやってのけた。なぜ負けたのかも理解できない負け方で、3回目からは一条の姿を見た瞬間に俺はあきらめたものだ。一条は俺にとって死神だった。そして、その死神がふたたび俺の前に現れた。
俺:立っているのもなんですから座りませんか?
一条:助かります。老人には立っているだけでもつらいものです
俺に促されて一条がソファーに座る。俺も座るが金髪パーマは立ったままだ。
一条:成瀬くん。君も座ったらどうですか?
成瀬:いえ、俺は立っています
一条が困ったような笑みを俺に向ける。目尻にしわが刻まれていた。昔と変わらないように見えるが、この男も歳をとるのだと分かって俺は安心した。
秘書の宝条がお茶を運んでくる。一条はそれに礼をする。彼女が出ていくまで誰も口を開かなかった。
俺:昔話をしに来たわけじゃないでしょう。何の用です?
一条:この歳になると昔話が恋しくなるんです。徳島の狂犬と呼ばれていたあなたを捕まえたのがつい最近のように思えて
俺:俺以外にも捕まえたやつはたくさんいるでしょう
一条:ひときわ記憶に残る人というのはいるものですよ
俺:警察の人にそう言われるのは名誉なことじゃありませんね
一条:徳島のドラゴンと呼ばれていた時期もある
俺:金餅組の盃は返しましたよ。もうヤクザじゃない。それともこの仕事に違法なことが?
一条:世間一般の良識に照らせば非難されることはないにせよ、称賛されることではありませんね
俺:でも違法ではない。エロゲのソシャゲでユーザーにガチャを回させているだけですから
一条:徳島の狂犬は何度も捕まえたのにドラゴンは1度も捕まえたことがない
俺:ドラゴンなんて伝説です
一条:ヤクザになってからのあなたは1度も尻尾を見せたことがない。あっという間に若頭になった。優秀でもあったんでしょう
俺:捕まりましたよ。あなたの手じゃありませんが
一条:そこが引っかかったんです。あなたらしくない。それで解決済みの事件ですが洗い直してみたんです。すると1人の男が浮かび上がった。金餅組の藤田正(ふじたまさし)。あなたが金餅組にいた時は弟分にしていて、まさやんと呼んでいた
俺:だから、なんだって言うんです
思わず立ち上がっていた。成瀬という男が身構えている。俺はつい熱くなった頭を落ち着けるように息を吐くと上着を脱いでデスクの椅子にかけに行く。歩いている間に時間を稼いで、ソファーに戻った時には平静を取り戻していた。一条はまさやんの名前を出して俺を焦らせたかった。意図が分かれば対処はできる。
俺:もう終わったことでしょう。あの事件は時効を過ぎている
一条:そうです。もし仮に藤田正が真犯人だとしても意味はありません
俺:だったらどうしてあいつの名前を出したんです?
一条:昔話をしたくなっただけですよ
俺:ならもう帰ってください。俺はヤクザでした。でももう関係ない。昔のことでごちゃごちゃ余計な事を言われたくありませんね
一条:帰ります。もともとこんなしがない刑事に会ってくれるとは思っていませんでした。いまや徳島を代表する企業のトップですからね。こうして顔を見られただけでも収穫はありました
一条は上品な身のこなしで立ち上がると、後ろに立っている男に声をかけて社長室の出口へ向かう。俺はその背中を見送っていたが、一条はドアの前で立ち止まると、振り返ってまた口を開く。
一条:なにを考えているか分からないとよく言われるんですが、私にも人並みの欲がありまして、警察になったからには大きな事件を解決したいんです。日本中がひっくり返るような、それこそ映画やドラマになるような大きな事件を。もしあなたがそんな事件に関わっているのなら私に教えてください。いつでもお待ちしております
俺:何も知りません
一条:思い出したらでいいんです
一条ともう一人の男が社長室を出ていく。体が急速に冷えていく。服の下に汗をかいている。バレたのか? いや、そんなはずはない。もしそうならいま頃、警察の人間がダンボールを抱えて証拠を押収しているはずだ。
俺はマジェスティックドラゴン(通称マジェドラ)というエロゲのソシャゲを運営している。売上は1兆円を超えている。しかし、実態は裏社会の金を綺麗にするシステムなのだ。物凄く簡単に言ってしまえばヤクザがマジェドラに課金して、その売上の10%を手数料として受け取り、残りをヤクザのフロント企業に返すという仕組みだ。綺麗になった金は合法なので、まとまって使えるし、持っていても心理的な抵抗がないので計画的な運用が可能になる。生活が安定したのでシノギに対してしっかりと向き合えるようになったという顧客の声を聞いたことがある。実際、昔よりヤクザの生活は安定している。いまは黄金時代だと親父は言っている。金の安定はすべての安定をもたらすのだ。
携帯が鳴る。まさやん専用の携帯だ。
俺:もしもし、どうかしたか?
まさやん:アニキ、いま話せる?
俺:大丈夫だ、誰もいない
まさやん:親父が会いたいって言ってる
俺:なぜ?
まさやん:さぁ、よく分かんないけどアニキにそう伝えろって
言ってから、まさやんにそんなことを聞いた自分が愚かだと気付いて、俺は笑う。まさやんになぜと考える頭はないのだ。
まさやん:俺もアニキの顔を見たいよ。もうずっと会ってない
俺:深夜1時55分にテレビを点けてみろ。採用募集CMに俺が映ってる
まさやん:そういうんじゃないよ。こう、現実に見たいっていうかさ
俺:親父は元気にしているか?
まさやん:うん、あ、鼻から白髪が伸びてた
俺:もう歳だからな。他のやつらは? 若いやつはちゃんとメシ食ってるか?
まさやん:もちろん。バブルの頃より景気が良いって親父も、年寄り連中も言ってる
俺:お前は? 誰かにいじめられたりしていないだろうな?
まさやん:アニキ、俺もうガキじゃないよ。手下だって何人かいるんだ
俺:あんまり俺にヘコヘコしすぎるなよ。下のやつはそういうのをちゃんと見ているんだ。なめられたら終わりだ
まさやん:ゆっくり喋る。喋る時は短く。ちょこまか動かない。何をしたらいいか分からない時はじっと黙っている
俺:それを完璧に守れたら若頭、いや、次の組長はお前だな
まさやん:そんなのムリだって。俺はそんな人間じゃないって分かってる
俺:自分がどんな人間かわかっていないやつがこの世には多すぎる。それだけでお前は一歩進んでるよ
受話器の向こうでまさやんの照れ笑いが聞こえる。今夜、いつもの料亭で、と言って俺は電話を切る。


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