『法律』プラトン
プラトン後期の政治哲学:対話篇『法律』の総合的分析
序論:プラトン最後の旅路
プラトン最晩年の大著としての『法律』の位置づけ
対話篇『法律』(希: Nοˊμοι, Nomoi)は、古代ギリシアの哲学者プラトン(前427-347年)がその生涯の最後に執筆した、全12巻から成る最大の著作である 1。プラトンの死後、未完の草稿として遺された可能性も指摘されており 4、彼の思想的遺言として、その政治哲学が到達した最終的な地平を示すものと広く解釈されている。本作は、プラトンの師であるソクラテスが登場せず、対話の舞台もアテナイではないという点で、彼の他の対話篇とは一線を画す異色の作品である 3。この特徴は、単なる作劇上の変更に留まらない。ソクラテス的な問答(ディアレクティケー)を通じた既存の信念の吟味と解体という段階から、具体的な法制度を構築し、共同体の魂を善導するという立法の段階へと、プラトンの哲学的関心が決定的に移行したことを象徴している。主導的な対話者である「アテナイからの客人」は、もはや真理の探求者というだけでなく、立法者(ノモテテース)としての哲学者の姿を体現しているのである。
『国家』の理想主義から『法律』の現実主義へ
プラトンの思想的変遷を理解する上で、彼がシチリア島で試みた政治的実践とその挫折は、決定的な重要性を持つ 6。卓越した知性を持つ「哲人王」による理想国家の実現という壮大な夢が現実の壁に阻まれた後 7、プラトンは中期対話篇『国家』で提示した「最善の国家」の構想から一歩退き、『法律』では「次善の国家」、すなわち「現実にあるべき国家」の具体的な法制度を徹底的に追求する 1。この転換は、単なる理想の断念や政治的妥協として捉えるべきではない。むしろ、それは哲学的な深化の結果と見なすべきである。すなわち、卓越した一個人の知性に国家の運命を委ねることの脆弱性を痛感し、恒久的で安定した制度としての「法」そのものに理性を埋め込み、国家を永続的に保全しようとする、より成熟した課題への挑戦であった。哲学は、個人的な魂の探求に留まらず、ポリス(国家)全体の魂を善導するための具体的な政治的・教育的プログラムを提示しうるし、また提示せねばならないという、プラトン後期の強い信念がここには表明されている。
対話の舞台と登場人物
対話は、クレタ島のクノッソスから聖なるイデ山のゼウスの洞窟へと向かう、真夏の巡礼の道中という象徴的な設定で行われる 1。登場人物は、プラトン自身の思想的代弁者とされる匿名の「アテナイからの客人」、クレタ人のクレイニアス、そしてスパルタ人のメギロスの三人の老人である 3。彼らの出身地は、当時のギリシア世界における主要な政体、すなわちアテナイの民主制、クレタの伝説的な法典、そしてスパルタの軍国主義的な貴族制をそれぞれ代表している。この設定により、対話は現実の諸制度を批判的に参照しながら、クレイニアスが設立を委託されている新たな植民市「マグネシア」の国制を、言論によってゼロから構築していく壮大な思考実験となる 3。
第一部:次善の国家「マグネシア」の設計思想
第1章:「法の支配」という第二の帆
哲人王の断念と「法こそが主権者」の原理
『法律』における最も根本的な思想的転換は、「哲人王」という生ける理性が絶対的な権力をもって支配する『国家』の理想から、「法」が国家の絶対的な主権者として君臨する「法の支配」の原理へと移行した点にある 9。プラトンは、「法が支配者たちの主人となり、支配者たちが法の奴隷となるような国家」にこそ、神々のあらゆる善きものが与えられると断言する 9。これは、いかなる人間であっても絶対的な権力によって腐敗する可能性を認め、権力そのものを法によって厳格に拘束する必要性を痛感したことの現れである。統治者は法の執行者であり、法のしもべに過ぎないとされる。
混合政体論:権力の抑制と均衡
特定の政体がその原理を極端に推し進める時、国家は破滅に至る。プラトンは、ペルシアにおける君主制が過度な専制に陥り、またアテナイにおける民主制が統制されない「自由」によって崩壊した歴史を教訓として挙げる 10。そこでマグネシアでは、特定の単一政体を避け、君主制の要素である「知性」と権威、そして民主制の要素である「自由」と友愛を「適度」に混合した「混合政体」が採用される 10。具体的には、長老会や任期制の役人、そして役人の執務を監査する監督官といった複数の権力機関を設け、それらが相互に抑制し合うことで、国家全体の安定と持続可能性を目指す。この構想は、後の政治思想史における権力分立論や抑制と均衡(チェックス・アンド・バランシズ)の思想の重要な萌芽と見なすことができる 10。
財産制度の再考:抑制された私有財産制
『国家』で提示された支配者階級における財産と家族の共有というラディカルな提案は、実現不可能な最善の策として留保される 11。その次善の策として『法律』が構想するのは、より現実的な、管理・抑制された私有財産制である。国家はまず、全市民に土地と家を籤によって平等に分配する 11。この分配地は国家の共有物と見なされ、市民はその使用権を持つに過ぎず、その譲渡や分割は厳しく禁じられる 2。さらに、富の極端な偏在が内紛や社会の堕落の根源であるとの認識から、市民が所有できる動産の上限を、分配地の価値の4倍までと定める。これは、経済的要因がポリスの倫理的・政治的安定に与える深刻な影響を、プラトンが深く認識していたことを示している。
「次善」という言葉は、しばしば『国家』の理想からの「後退」や「妥協」と解釈されがちである 7。しかし、混合政体や財産制度の具体的な設計を見ると、そこには人間性の現実的な理解、すなわち人間の欲望や党派心、知識の限界といった現実の制約が深く反映されている。プラトンはこれらの制約を直視した上で、それでもなお「善」の理念をいかにして制度の中に埋め込み、現実世界で機能させるかを模索している。『法律』の現実主義は、理想の放棄ではなく、理想を現実世界で「実現」するための方法論的転換であり、政治哲学がユートピア的思弁に留まらず、実践的な制度設計へと向かう際の普遍的な課題を示している。
表1:『国家』と『法律』における国家構想の比較
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第2章:法と説得:序文(プロイミオン)の革新性
「強制」と「説得」の二重構造
プラトンは、『法律』において、法が単に罰則をちらつかせて市民を「強制 (βιˊα)」するだけのものであってはならないと繰り返し主張する 12。それは暴君の命令と変わらない 9。真の立法者は、市民が自発的に、理性的理解に基づいて喜んで法に従うように、「説得 (πειθωˊ)」を試みるべきだと考える。この思想は『法律』における最も独創的な貢献の一つとされ、法は「強制」と「説得」という二つの要素から構成されるべきだという、法の二重構造論を提示する 13。
序文(プロイミオン)の機能とレトリック
この「説得」の理念を具体化する画期的な手段が、個々の重要な法律や法典全体に付される「序文(プロイミオン)」である 12。序文の目的は、なぜその法が善いものであり、それに従うことが市民自身の魂にとって、そして共同体全体にとって利益になるのかを、論理的に説明することにある。しかし、その手法は単なる論理的説明に留まらない。神話や物語、詩的な言葉遣いを駆使して、市民の理性的部分だけでなく、感情や欲望といった非理性的部分にも働きかけ、魂全体の調和を目指す 7。この手法は、法を単なる外部からの命令の体系から、市民を内面から教育し善導する(パイデイア)ための積極的な道具へと昇華させる。
『法律』が単なる理想的な法典の草案に留まらないのは、この「序文」の導入に象徴されるように、法の本質そのものへの問い直しを含んでいるからである。法はなぜ拘束力を持つのか。それは単に支配者の命令だからではなく、それが理性的で善いものであり、市民の理性による承認と自発的な同意に基づくべきだという、法の正当性に関する深い哲学的探求がここにはある。法を「理性の似像」と捉える 15 この著作は、西洋における法哲学の最も初期にして最も体系的な試みの一つと言えるだろう。
第二部:徳高き市民の陶冶:教育と宗教の制度化
第3章:共同体の魂を育む生涯教育(パイデイア)
ムーシケー教育の中心的役割
『法律』における教育(パイデイア)の核心は、ムーシケー、すなわち音楽・文芸・舞踏の統合的な実践にある 7。教育の究極的な目的は、子どもたちが幼い頃から、快楽と苦痛の感覚を通じて、美しく善いものを自然に愛し、醜く悪いものを正当に憎むように、その魂を正しく「習慣づける」ことである 7。理性(ロゴス)が十分に発達する以前の段階で、正しい情動のパターンを魂に刻み込むことが極めて重要視される。これにより、長じて理性が発達した際に、感情と理性が対立することなく協調・調和し、徳を備えた完全な人格が形成される土台が築かれる 7。この目的を達成するため、国家は徳の涵養に有益な詩や楽曲、踊りのみを厳格に選び、市民の魂に有害と見なされるものは検閲によって排除する 10。
胎教から始まる包括的教育プログラム
『法律』が構想する教育プログラムは、その射程の広さにおいて驚異的である。その配慮は、妊婦が適度な散歩をすることといった、現代で言うところの胎教にまで遡る 16。これは、胎児の身体的な健康だけでなく、その魂の成長にも良い影響を与えると考えられたからである。乳幼児期には、監督下での遊びを通じて魂の性向を整え 16、6歳からは男女共に読み書き算術といった基礎的な学習が始まる 16。教育は特定の階級や年齢に限定されない。それはマグネシアの全市民を対象とする生涯教育として構想されており、老人でさえもディオニュソス合唱隊に参加し、歌い踊ることが推奨される 7。この生涯教育の思想の根底には、理性と非理性的部分との調和が、人間にとって一生涯をかけた課題であるという深い人間理解が存在する 7。
『国家』の教育論との比較
『国家』における教育が、主に国家を守護し統治する哲人王を育成するための、極めて高度なエリート教育であったのに対し、『法律』における教育は、マグネシアの全市民を対象とする普遍的な市民教育である 7。この射程の拡大は、「次善の国家」の根本的な構造に起因する。すなわち、「次善の国家」では、哲人王のような絶対的な知性を持つ個人が存在しないため、国家の安定と徳の維持は、市民一人ひとりの倫理的水準に全面的に依存することになる。したがって、教育は、法を理解し自発的に従う善良な市民を育成するための、国家の最重要プロジェクトとして位置づけられるのである 9。
第4章:国家の神学的基礎と敬虔
第10巻における無神論への反駁
『法律』第10巻は、西洋哲学史上初の体系的な自然神学の試みとして、際立った重要性を持つ。この巻でプラトンは、国家の倫理的・法的秩序の根幹を揺るがす三つの不敬な思想に対して、哲学的な反駁を展開する 10。
無神論(神々は存在しないという思想): 宇宙の運動や生成変化を考察し、物体よりも魂が根源的であり、運動の第一の原因であると論じる。そして、諸天体の秩序正しい運行は、偶然ではなく、神々の「最善の魂」に宿る知性(ヌース)によって導かれていると結論づける 19。
理神論(神々は存在するが、人間の事柄に配慮しないという思想): 神々が全知全能かつ善であるならば、宇宙全体を配慮する神々が、その重要な一部である人間界の事柄を怠慢や無知から無視するはずがないと論じ、神々の配慮(プロノイア)を擁護する 10。
伝統的有神論への批判(神々は存在するが、供物や祈りで買収されうるという思想): 善にして正義である神々が、不正な人間からの賄賂のような供物によって心を動かされると考えるのは、番犬が羊を盗む狼から分け前をもらって悪事を見逃すようなものであり、神々に対する最大の侮辱であるとして厳しく退ける 10。
「神に倣うこと」という倫理的理想
プラトン後期の思想の核心をなす「神に倣うこと(ὁμοιˊωσιςθεῷ)」は、『法律』においても市民が目指すべき最高の倫理的理想として提示される 20。神々は完全に善であり、理性的秩序の体現者である。したがって、人間にとっての徳とは、自らの魂の中にある神的な理性の部分を最大限に働かせ、神的な秩序を自らの内に実現し、可能な限り神に似た者になることである。法に従う敬虔な生活は、この究極の理想を実現するための具体的な道筋として示される。
不敬罪の制定とその政治的射程
上記の三つの神学的信条、すなわち「神々の存在」「神々の配慮」「神々の不可買収性」は、マグネシアの国教の根幹をなす。これに反する思想を公言する者は、不敬罪として国家によって厳しく罰せられる 10。その罰則は、単に知的な誤謬に陥っているだけであれば「矯正所(ソープロニステーリオン)」と呼ばれる施設で「夜の会議」のメンバーによる説諭を受け、矯正不可能と判断されたり、他の道徳的堕落を伴ったりする場合には、終身刑や死刑といった極めて厳しいものである 21。これは、マグネシアの法的・倫理的秩序の究極的な正当性がこの神学的基礎に置かれているため、無神論やそれに類する思想は、単なる個人的な信条の問題ではなく、国家の土台そのものを破壊する政治的犯罪と見なされたことを意味する。
このように、マグネシアは単なる法治国家ではなく、壮大な「教育国家」である。その目的は、市民の魂を隅々まで配慮し、揺りかごから墓場まで、共同体の価値観(徳)を内面化させることにある。法、教育、宗教は、この目的を達成するために有機的に連携する三位一体のシステムとして設計されているのである。
第三部:制度的保障と歴史的遺産
第5章:法の守護者「夜の会議」
構成員、資格、権限の分析
全12巻からなる『法律』の議論の最後に提示される「夜の会議(ὁ νυκτερινοˋς συˊλλογος)」は、これまで言論によって構築されてきたマグネシアの国制と法を、未来永劫にわたって「保全(σωτηριˊα)」するための究極の機関である 10。この会議がなければ、国家の設計は未完成であるとさえ言われる。構成員は、護法官の中の最年長者10名、引退した者を含む全監査官、教育監といった、国家の最高位の役職を経験した徳と知恵を兼ね備えた老人たちと、彼らがその素質を認めて選抜した30歳以上の優秀な若者たちから成る 22。会議は、日中の公務から解放される早朝(夜明け前)に行われるため、この名で呼ばれる 23。
表2:マグネシアの主要な官職と「夜の会議」の構成
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哲学的探求の制度化
「夜の会議」の最も重要な機能は、日々の行政や司法といった直接的な統治権力の行使ではない。その真の役割は、国家という船を未来の嵐から守るための重い「錨(いかり)」、あるいは国家という生命体の「魂であり頭脳」として、法の背後にある哲学的原理を探求し続けることにある 22。彼らは、国家が目指すべき究極の目的である「徳」そのものとは何か、そして知慮、勇気、節制、正義といった個々の徳がいかにしてその一つの「徳」という理念に結びつくのかを、絶えず哲学的に探求する義務を負う 22。この不断の知的探求を通じて、将来の法律の制定や改正が、常に国家の根本理念から逸脱しないよう保証するのである。
哲人王の知性の組織化
「夜の会議」は、事実上、『国家』における哲人王の知性を、一人の卓越した個人から、永続的な制度・組織へと移し替えたものと解釈できる。プラトンの生涯をかけた課題は「哲学はいかにして政治を善くすることができるか」であった。『国家』の答えは「哲学者が王になる」ことであったが、これはシチリアでの経験が示すように、実現困難であった 14。そこで『法律』では、権力(ポリティクス)が常に知性(フィロソフィア)によって導かれ、吟味されなければならないという信念を、制度として結晶化させる。個人の死によって失われることのない、制度化された知性によって国家の理念を守護しようとするこの構想は、プラトンが理想と現実の狭間で到達した、極めて洗練された最終的な答えであった。この「神的な会議」に、国家の究極的な運命は委ねられるのである 22。
第6章:『法律』の遺産と現代的論争
後世への影響
『法律』が西洋思想に与えた影響は計り知れない。プラトンの最も優れた弟子であるアリストテレスは、主著『政治学』において、『法律』の思想を批判的に継承し、発展させた。「法の支配」の原理、市民を育成する教育の重要性、「混合政体論」、そして能力や貢献に応じて価値を分配する「比例的平等」の思想は、アリストテレスの政治哲学に決定的な影響を与えた 11。また、共和政ローマの政治家であり文筆家であったキケロは、プラトンの『法律』を明確に模範として、同名の著作『法律について』を著した 25。キケロは、プラトンの思想をローマの政治的文脈で解釈し直し、法は神と人間に共通する普遍的な理性、すなわち「自然法」に基づくべきであるという思想を力強く展開した 27。
カール・ポパーによる痛烈な批判
時代は下り、20世紀の科学哲学者カール・ポパーは、その主著『開かれた社会とその敵』において、プラトンを全体主義の思想的源流として、かつてないほど厳しく批判した 28。ポパーによれば、プラトンの国家構想(特に『国家』が主たる標的だが、『法律』もその射程に含まれる)は、歴史の変化を堕落と見なして敵視し、理性的な批判を許さず、エリートによる支配と個人の自由を抑圧する集団主義を正当化する「閉じた社会」の青写真である 28。個人の自由よりも国家の静的な安定と統一を絶対的に優先するその思想は、20世紀のファシズムや共産主義といった全体主義体制へと繋がる危険なものであると弾劾された。
現代における再評価
ポパーの批判は、プラトン思想に潜む権威主義的な側面を鋭く抉り出したが、他方で、プラトンの歴史的文脈を無視した時代錯誤的な読解であるとの有力な批判も存在する。現代の政治哲学においては、『法律』を単なる権威主義国家論として一面的に断罪するのではなく、法の支配、立憲主義、三審制、熟議による政治、教育の公共的役割といった、現代にも通じるテーマを扱った先駆的なテクストとして再評価する動きが活発である 11。
『法律』をめぐる「全体主義」か「立憲主義」かの両極端な評価は、この著作が内包する根源的な緊張関係に由来する。すなわち、共同体全体の「善」を実現するためには、個人の思想や生活様式に強力に介入することも厭わない(例:不敬罪 21, 芸術検閲 10)という側面と、権力者を法の下に置き、権力分立を模索する(例:混合政体 10)という側面を同時に併せ持っているのである。この内部の緊張は、現代社会が直面する「公共の福祉のために個人の自由はどこまで制限されうるか」という問いと地続きであり、『法律』が、賛成するにせよ反対するにせよ、我々にとって避けては通れない思考の試金石であり続けていることを証明している 15。
結論:プラトン政治哲学の最終到達点
対話篇『法律』は、プラトンが理想(イデア)と現実(現象界)の間の埋めがたい緊張関係に、その哲学的人生の全てをかけて向き合った末に到達した、壮大な知的格闘の記録である。それは、実現不可能な「最善」を観想する若き日の哲学者の姿ではなく、人間性の現実を深く洞察した上で「実現可能な最善」を具体的な制度として構築しようとする、成熟した哲学者の姿を映し出している。
立法者としての哲学者は、法という精緻な道具を通じて、ポリスの市民一人ひとりの魂に理性の秩序を植え付け、共同体全体を調和のとれた善へと導こうと試みる。この壮大な教育的プロジェクトこそ、『法律』の核心に他ならない。法の支配、混合政体、自然法思想の萌芽、教育と政治の不可分な関係、そして国家の神学的基礎づけといった、『法律』が提起した数多の論点は、アリストテレス、キケロを経て西洋の政治・法思想の巨大な源流を形成し、今日に至るまで我々に根源的な問いを投げかけ続けている 31。その射程の広さと深さにおいて、『法律』はプラトン哲学の、そして西洋政治思想史全体の、暗くも壮麗な不朽の金字塔であると言えよう 2。
引用文献
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プラトンとキケロ, 6月 29, 2025にアクセス、 https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/17657/files/bg002003.pdf
キケロの政治思想〜キケロ『国家について』『法律について』から【読書ノート】 - note, 6月 29, 2025にアクセス、 https://note.com/dilettare/n/ncc8d9ec496c8
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開かれた社会とその敵 第一巻 - ジュンク堂, 6月 29, 2025にアクセス、 https://www.maruzenjunkudo.co.jp/products/9784003860250
『開かれた社会とその敵 プラトンの呪縛(上) 第一巻』|感想・レビュー・試し読み - 読書メーター, 6月 29, 2025にアクセス、 https://bookmeter.com/books/20635315
プラトンと法律 - 名古屋大学出版会, 6月 29, 2025にアクセス、 https://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN4-930689-77-5.html
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